農民連本部・宮城県連に大漁旗みなさんのおかげで
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8月1、2の両日、宮城県大崎市鳴子温泉にある「農民の家」で開かれた全国研究交流集会。東日本大震災でなにもかも失って「農民の家」に避難した東松島市の被災者が参加し、懇親会の冒頭、土佐勝郎さん、大友貞夫さんから、被災者支援に尽力した農民連本部と宮城農民連に大漁旗が贈られました。
土佐勝郎さんと大友貞夫さんは、「農民の家」避難村で、村長、事務局長というまとめ役として奮闘されました。みなさんから話を伺いました。
私たちは、東松島市の沿岸部に住んで漁業などを営んでいました。3月11日の地震と津波で、家も車も財産すべてを失いました。「地震、雷、火事、おやじ」ということわざがありますが、どうして津波は入っていないのでしょうか。
津波の恐さを私たちも知りませんでした。「津波が来るぞ!」と言われても、だれも10メートルを超えるような津波が来るとは思っていませんでした。それで逃げ遅れた人もたくさんいます。
左から宮城農民連会長の鈴木道夫さん、大友貞夫さん、宮城県連事務局長の鈴木弥弘さん、大友昭子さん、安倍より子さん、土佐勝郎さん、ふるさとネットワーク事務局次長の横山昭三さん、農民連会長の白石淳一さん |
今でも思い出すのですが、何もないときに農民連のみなさんからいただいたくんせい卵のおいしかったこと。1700キロも離れている宮崎から来てくれて牛肉の串焼きをいただきました。もうおいしくって、今でも語り草になっています。それから長野の人たちはもちをついてくれました。山形の人たちはあたたかい豚汁を作ってくれました。地元の宮城をはじめ、全国からお米や野菜、果物が届けられたと聞いています。本当にありがとうございました。
宮崎から牛肉の串焼き支援(2011年6月5日)、「今でも忘れないよ」と土佐さん(中央) |
家も船も財産も、そして多くの人たちは家族を失っての避難生活です。お互い下を向いて口を開く元気もありませんでした。私たち世話役は、みんなが何とか元気が出せるよう、いっしょに食事をしたり、“ダメ”と言われたカラオケも認めてもらったり、女性が引っ張って歌や踊りもしました。そしてだんだん、みんなが顔をあげ、まとまりがでてきました。
(3〜6面に全国研究交流集会を特集)
[2012年8月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
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