「農民」記事データベース20160314-1205-09

東日本大震災5年
原発再稼働は絶対許せない
(3/4)

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もの作る喜び奪った原発事故
農業再開も生活再建も問題山積み

避難指示解除準備区域・南相馬市小高区 渡部チイ子さん

 家族バラバラの避難生活始まる

 現在、避難指示解除準備区域となっている南相馬市小高区で、米と野菜を作っていた渡部チイ子さんは、夫で市議の寛一さんと義理の母、農業を継いでいた息子の寛志さんとその妻の直美さん、当時6歳と3歳の孫たちと暮らしていました。チイ子さんは寛志さんと税金の集団申告に参加していたところ震災にあい、津波で冠水した道路をぬって自宅に戻りました。

 その晩は余震と津波におびえながら、裏山の畑の納屋で過ごし、翌日、消防団で行方不明者の捜索に出ていた寛志さんが、原発が危ないと捜索が打ち切られて戻ってきたのを機に、寛一さんだけを残して、家族で会津若松市のチイ子さんの実家に避難しました。

 しかし4月になる頃、原発事故の収束が見通せず、孫が小学校に入学する必要があったことから、寛志さん一家は、知り合いのいる愛媛県に避難。チイ子さん夫婦も夏には南相馬市原町区にある借り上げアパートに入居し、家族バラバラの生活が始まりました。

 チイ子さんは会津に避難している頃から、介護ヘルパーの資格を取得。2011年11月から南相馬市鹿島区にあるデイサービスで働き始め、今ではセンターの所長を務めています。一方、寛志さん一家は、愛媛県農民連会員の協力で、愛媛でミカン栽培を始めました。

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デイサービスセンターで介護ヘルパーとして働く渡部チイ子さん

 国の一方的な解除と帰還政策

画像  国の一方的な帰還政策のもと、小高区も期日は未定ながら今年中には避難指示が解除され、国はその1年後をめどに、精神的慰謝料として支払われている賠償金も打ち切る方針を決定しています。しかし被災地では、帰還と帰還後の生活再建の見通しは、さらに厳しさを増しているのが実情です。

 原発事故前は、3・5ヘクタールの水田を耕作していたチイ子さん夫婦でしたが、5年たった今でも解除準備区域内の自宅に住むことはできず、地域内の稲作は、ごく一部に実証栽培があるものの、全面的な作付け制限が続いています。

 解除後は作付けが許可される見通しで、チイ子さんの集落では、水田の除染作業(放射性物質の吸着作用がある土壌改良材のゼオライトを散布・すき込む)が大急ぎで進められ、完了しました。しかし水源地の高線量の大柿ダムの除染はされておらず、農業用水の安全性はいまだに確認されていません。また5年も使われていない用水路は修復工事にも手がつけられていません。

 食べてもらう喜びもダメに

 農業機械も使わない間に壊れてしまったり、すでに売却してしまった農家も多く、農業の再開を難しくしています。そしてさらに、米価下落と、消費者の福島県産米敬遠が追い打ちをかけています。「こういうことを考えると、今さら百姓をやろうという人はほとんどいないのが実態」とチイ子さんは言います。

 「原発事故でいちばん苦しいのは、もの作りができなくなってしまったこと。農家はみんな、もの作りがしたい。働けなかったら、何もすることがないもの。作る喜びも奪われた。そういうのは、一度失ったら簡単には取り戻せない。これは賠償金ですむ問題でない。作る喜びは、消費者に食べてもらう喜びでもあったのに、原発事故でそれもダメになってしまった」

 自宅を建て直しデイサービスを

 困難は山積みですが、それでもチイ子さん夫婦は、解除後には小高に戻る準備を進めています。寛一さんはまずは用水は自家用の深井戸を使って稲作を始め、いずれはできる限りたくさんの面積を作っていきたいと考えています。チイ子さんは、自宅を建て直してデイサービスを開業し、畑作業を介護に取り入れていく予定です。みそ作りも去年から再開しました。

 しかし、愛媛で暮らす寛志さん一家が小高に戻るのは、少なくとも孫たちが学齢期を終えるまで、しばらく先になりそうです。若い世代は5年の間に避難先でそれなりに生活を再建していること、そして何よりも「福島第一原発の収束や廃炉がはっきりしないうちは、心配で帰れない」という思いが、若い世代ほど強いためです。

 でもそれも苦渋の選択でした。避難生活を強いられている避難区域の住民には、現在では一人あたり、1カ月10万円の精神的慰謝料が賠償され、避難生活の支えとなっていますが、解除されて1年後にはそれも打ち切る方針が閣議決定されています。「寛志たちもミカン栽培だけで暮らしていけるのか」と心配するチイ子さん。今なお不安定な仕事に就いている避難者もいるなかで、いま多くの人が同じ困難に直面しています。

 チイ子さんは、「誰もがどうしていいのかわからない。正解がないのが現状だもの。でもそれぞれの場所で毎日を懸命に生き抜いて、少しでも自分たちの生活をよくしていくために、声をあげ続けていかなくちゃならない。それも原発事故のひどさを伝える運動につながっていくから」と、確かなまなざしで話しました。

(新聞「農民」2016.3.14付)
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2016年3月

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