「農民」記事データベース20140310-1108-10

3・11大震災から3年
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農業再生の見通しはきびしい
復興はこれから、原発再稼働なんて

福島・浜通り農民連 佐藤忠吉・シヅ子夫妻

 原発を「重要なベース電力」と位置づける――安倍内閣は2月25日、こう明記した新しい「エネルギー基本計画」の素案を発表し、3月中にも閣議決定しようとしています。これに対し、福島では、「福島の苦しみをまた繰り返すのか」という、怒りと失望の声がわき起こっています。

 “若い人たちはもう戻らない”

 「私たち老人は、もといた場所に戻りたいとみんな思っています。でも若い人はもう戻ることはないでしょう」――こう話すのは、福島・浜通り農民連の会員、佐藤忠吉さん・シズ子さん夫婦です。佐藤さん夫婦は、福島第一原発から約15キロ、南相馬市小高区で、90歳を迎えた佐藤さんのお母さんと佐藤さん夫婦、息子さん夫婦と3人のお孫さんの4世代8人で暮らしていました。息子の修一さんはすぐ近くの大企業の工場に勤めながら、休みの日には忠吉さん夫婦と協力して3・5ヘクタールの水田を耕し、「金持ちではないけど、お米も野菜も自分で作れて、仕事もあって、希望のある平和な暮らしだった」と、忠吉さんは言います。

 それを一変させたのが、原発事故でした。海岸線から10キロの佐藤さんの家は津波被害もなく、屋根瓦が多少落ちた程度の被害でした。ところが原発が爆発。一家は長い避難生活の後、いま、ひいおばあさんは神奈川県の特養ホームに、佐藤さん夫婦は南相馬市鹿島区の仮設住宅に、息子さん家族は相馬市に、家族バラバラの暮らしを強いられています。築140年のどっしりとした農家造りの母屋も、避難生活中に瓦を修理できなかったために屋根が崩落し、すべて取り壊さなければならなくなりました。

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天井が抜け落ちた母屋の玄関に立つ佐藤さん夫婦

 しかし、佐藤さん夫婦が最も心配しているのは、農地の除染・再生です。「集落の農地80ヘクタールの表土をすべて入れ替えるというが、いったい、その土はどこから持ってくるのか。周りの山土もダメ。逆に遠いと費用がかかる。ここは避難指示解除準備区域で、国は“家の除染が済んだらここに戻れ。賠償もそれまでよ”と言うが、農業再生の見通しが全くたたないのに、どうやって暮らしていくのか」と、怒りを込めます。

 「原発反対」の声いま強めるとき

 浜通り産直センター代表理事の三浦広志さんも、「原発から20キロ圏外は、かなり復興が進んできた。でも20キロの圏内は、実質的な復興はほとんど手がついていない。やっと“復興計画”を立て始めたというのが現状。ところが肝心の農業の担い手になれるような若い人が地域にいない」と、現状を話します。

 「仮に20年、30年かけて農業が復興できても、それまで若い人が戻れないのでは、その時にはこの集落はどうなってしまうのか。お墓は?山の手入れは?」――佐藤さんのますます強まる危機感は、浜通り地域の多くの農家に共通する思いでもあります。

 シズ子さんも「私たちが本当に欲しいのは、お金じゃないんです。田畑を耕して、家族みんなが元気で、一緒に暮らせる。そんな普通の暮らしこそ、一番大切なものなんです。原発だってまだ危ない状態だし、復興だってこれからなのに、原発再稼働なんて、とんでもない」と言います。

 「とにかく福島の現状を見に来てほしい。そうすれば経済発展のために原発が必要なんて言葉遊びのような議論にはならないはずだ」 (三浦さん)

 今こそ、「原発反対!」の声を強めるときです。

(新聞「農民」2014.3.10付)
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2014年3月

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