「農民」記事データベース20140310-1108-08

3・11大震災から3年
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行政は漁業再開に何もしてくれない
仲間と手携え、自らやらんといかん

岩手県漁民組合事務局長 橋端辰徳さん(65)=山田町=

 2138隻中の1900隻被害

 「風が強く、海も荒れていた。タコや毛ガニがさっぱり採れない」。岩手県山田町の漁師、橋端辰徳さん(65)は、午前2時に漁にでて、10時に岩手県山田町の漁港に戻ってきました。40年愛用している第十八魂丸(たままる)(9・5トン)にはドンコ、カニ、ツブ貝、タコがカゴのなかに所狭しと入っています。タコ、毛ガニは宮古に、ツブ貝は大船渡に送られます。

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漁から戻ってきて笑顔の橋端さん

 震災前は、タコ、毛ガニなど「多いときは1回の漁で100万円はいっていた」(橋端さん)というほど大漁に恵まれ、三陸の海は漁業資源が豊富。しかし、震災で町は一変します。人口約2万人だった山田町は、巨大地震、津波、火災に襲われ、死者・行方不明者が800人を超えました。基幹産業である漁業も大打撃をうけ、漁船は登録2138隻中、1900隻に被害がでました。

新船建造遅れ・漁業資材の支援少ない

“いま漁民組合の出番だ”

 漁民組合結成と同時に操業も

 橋端さんは、家も漁業資材も津波に流され、兄も失いました。第十八魂丸も破損し、震災直後は使えない状態でした。その後、ゼロの状態からコツコツと漁業再開の準備を進めてきました。

 同時に、漁業再開に何も手を貸してくれない行政などの姿勢にも強い怒りをおぼえ、「自分から何かやらないといけない」と仲間の漁師と手を携えながら漁業の再開に力を尽くしてきました。

 その成果が実り、震災から半年ほどたった10月に山田漁民組合が結成されました。これがきっかけで、さらに沿岸全域の運動に発展させるべく12年1月に岩手県漁民組合(岩手県農民連加盟)が結成されました。

 時を同じくして、橋端さんも待ちに待った漁にでることができるようになりました。組合結成と操業ができるという二重の喜びを味わいました。漁の方はいま、「震災前の1〜2割程度」が現状ですが、「少しずつよくなっている」といいます。

 県漁民組合では事務局長を務めます。その仕事ぶりに、漁民組合相談役の佐藤照彦さん(73)は「橋端さんなしで組合は考えられない。本当によくやってくれている」と絶大の信頼を寄せます。

組合員からの信頼は絶大

 加工にも挑戦し販売も力入れる

 今年に入って、うれしいことがありました。1月28日に県漁民組合が県に漁船漁業の復興についての要請をしたとき、62人の参加者のうち3分の1は20〜30代の若者だったのです。単に参加するだけでなく、若者が現状を切々と訴え、県に対策を迫っていたことを頼もしく思いました。

 震災から3年目を迎えようとしているのに、沿岸漁民のくらしは一向に改善されていません。いまだに多くの被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされています。

 新船の建造も遅れ、漁業資材への支援もほとんどありません。岩手では、主力魚種のサケ漁は、漁民に刺し網漁が許可されず、漁獲効率の悪い延縄(はえなわ)漁しか許可されていません。重油の値上がりやエサ代の高騰、消費税増税が追い打ちをかけます。まさにいま、漁民組合の出番です。

 橋端さんはいまも仮設住宅でくらし、人工透析に通う妻を送り迎えする毎日ですが、1年後には念願の16トンの船が届く予定です。「組合員の声をもっと取り上げて、仲間を増やし、全県規模の運動に広げたい。漁の方では、加工に挑戦し、販売にも力を入れたい」と目を輝かせます。

(新聞「農民」2014.3.10付)
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2014年3月

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