3・11大震災から3年
|
関連/3・11大震災から3年(1/4) /3・11大震災から3年(2/4) /3・11大震災から3年(3/4) /3・11大震災から3年(4/4) |
漁から戻ってきて笑顔の橋端さん |
震災前は、タコ、毛ガニなど「多いときは1回の漁で100万円はいっていた」(橋端さん)というほど大漁に恵まれ、三陸の海は漁業資源が豊富。しかし、震災で町は一変します。人口約2万人だった山田町は、巨大地震、津波、火災に襲われ、死者・行方不明者が800人を超えました。基幹産業である漁業も大打撃をうけ、漁船は登録2138隻中、1900隻に被害がでました。
同時に、漁業再開に何も手を貸してくれない行政などの姿勢にも強い怒りをおぼえ、「自分から何かやらないといけない」と仲間の漁師と手を携えながら漁業の再開に力を尽くしてきました。
その成果が実り、震災から半年ほどたった10月に山田漁民組合が結成されました。これがきっかけで、さらに沿岸全域の運動に発展させるべく12年1月に岩手県漁民組合(岩手県農民連加盟)が結成されました。
時を同じくして、橋端さんも待ちに待った漁にでることができるようになりました。組合結成と操業ができるという二重の喜びを味わいました。漁の方はいま、「震災前の1〜2割程度」が現状ですが、「少しずつよくなっている」といいます。
県漁民組合では事務局長を務めます。その仕事ぶりに、漁民組合相談役の佐藤照彦さん(73)は「橋端さんなしで組合は考えられない。本当によくやってくれている」と絶大の信頼を寄せます。
震災から3年目を迎えようとしているのに、沿岸漁民のくらしは一向に改善されていません。いまだに多くの被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされています。
新船の建造も遅れ、漁業資材への支援もほとんどありません。岩手では、主力魚種のサケ漁は、漁民に刺し網漁が許可されず、漁獲効率の悪い延縄(はえなわ)漁しか許可されていません。重油の値上がりやエサ代の高騰、消費税増税が追い打ちをかけます。まさにいま、漁民組合の出番です。
橋端さんはいまも仮設住宅でくらし、人工透析に通う妻を送り迎えする毎日ですが、1年後には念願の16トンの船が届く予定です。「組合員の声をもっと取り上げて、仲間を増やし、全県規模の運動に広げたい。漁の方では、加工に挑戦し、販売にも力を入れたい」と目を輝かせます。
[2014年3月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
〒173-0025
東京都板橋区熊野町47-11
社医研センター2階
TEL (03)5966-2224
Copyright(c)1998-2014, 農民運動全国連合会