「農民」記事データベース20130311-1060-10

3・11 大震災から2年

被災地は今
くらしは? 復興は? 生業は?
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がれき処理・除染・放射性廃棄物…

復興は遅々として進まず

 福島・南相馬

  渡部寛一市議

 福島県南相馬市は、事故を起こした福島第一原発から北に位置し、南端は9・7キロメートル、北端は38キロメートルの距離にあります。事故直後から、この原発からの直線距離で、避難指示、賠償、市民支援策等、あらゆる差別が生み出されています。津波で亡くなった人は636人、その後の災害関連死は390人。やっと生き残った市民も、その半数がいまだに避難生活を強いられています。

 3・11直後から時間は止まった

 私の自宅のある小高区は原発から20キロメートル圏内にすっぽり入りますが、いまだに立ち入りは日中のみで、生活することは許されていません。津波被害を受けた沿岸部は、遺体捜査されただけのがれきがいまだに山積みされ、流された車がゴロゴロ…。「3・11」のあの日から時間が止まったままの光景が広がっています。20キロメートル圏内のがれき処理には4つの処理場が必要とされていますが、そのうちの1カ所がやっと建設が始まったばかりという状況です。

 20キロメートル圏外となる市の北部では、やっとがれき処理が始まりましたが、放射能の除染はほとんど進んでいません。焼却できるがれき処理には大型の仮設焼却場が必要ですが、まだその場所も正式決定していません。

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農地復活に向けて草刈り作業をする農家のみなさん(南相馬市提供)

 さらに深刻なのが、除染の遅れです。20キロメートル圏内は国が、圏外は国が自治体に委託して除染することになっていますが、南相馬市ではどちらもゼネコンの竹中工務店に“丸投げ”されており、地元経済の再建にはつながっていません。放射性廃棄物については、最終処分場はおろか、中間貯蔵施設も決まっておらず、仮置き場すら面積の1割分しか確保できていないという現状です。

 水稲は2011年、12年に続いて、13年も市の全域で作付けできないことになりました。それでも少なくない農家が試験栽培に取り組むことになっています。

 暮らし・生業を取り戻してこそ

 南相馬市では、昨年の子どもの出生数が、避難先での出産などを含めても原発事故前年の56%に激減してしまいました。南相馬市の困難な状況をよく象徴している出来事ではないでしょうか。

 マスコミなどでは原発事故被災地を忘れ去るような姿勢が見えます。また原発再稼働を狙う策動も強まっています。

 南相馬市議会は、「浪江・小高原発建設を中止し、県内全ての原発の廃炉を求める決議」と、「原発再稼働に反対する決議」を、全会一致で議決しています。

 復旧・復興の基本は、市民の暮らしと生業を取り戻すことです。道路や建物をもとに戻したり、復興の“証拠”のような施設をつくることではありません。全市民が戻り、暮らすことのできる南相馬市に、そして戻る環境が整うまで避難し続けるすべての市民に寄り添った政治が求められています。

(新聞「農民」2013.3.11付)
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2013年3月

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