食料主権宣言(案)(1/5)
日本と世界の食と農をますます危機
に追い込む政策の転換をめざして
二〇〇六年五月 農民運動全国連合会
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農民連は五月十一日、「食糧主権宣言(案)――日本と世界の食と農をますます危機に追い込む政策の転換をめざして」を発表しました。WTO・FTAの推進、農業「改革」という攻撃が展開されているもとで、食糧主権は、WTOに対抗するうえではもちろん、小泉改革に対抗するうえでも大局的な対案の方向を示しています。宣言(案)の全文を掲載します。
WTO(世界貿易機関)農業協定が動き出してから十一年たった。この間、日本の農民と消費者が直面
してきたのは、農産物の輸入急増と価格暴落、史上最大の稲作減反であり、農薬残留農産物や遺伝子組み換え食品の輸入の氾濫(はんらん)による食の安全に対する限りない不安である。(図1)
ところが、小泉首相は「もうこれ以上『農業鎖国』は続けられない」(〇三年十月)と言い放って農政改革断行の引き金を引き、四月四日には政府の「食料・農業・農村政策推進本部」が「二十一世紀新農政二〇〇六」を決定して、“小泉なき小泉改革”の布石を敷いた。「二十一世紀新農政二〇〇六」は、(a)“食の買いあさり”の仕掛け人である巨大企業(多国籍企業)の「海外進出」をさらに促進する「東アジア食品産業共同体構想」を提案し、(b)すずめの涙ほどの日本産農産物の「輸出」と引き換えに、WTO・FTA交渉での市場開放をいっそう進めること、(c)政府自身の計算でも販売農家の四分の三注(1)を首切る農業構造改革(品目横断的経営安定対策)を「スピード感をもって推進」すると宣言している。
「二十一世紀新農政二〇〇六」のうたい文句は「守るところは守り、譲るところは譲る、攻めるところは攻める」であるが、実際に「守る」のはアジアと世界を股(また)にかけて利潤を追求する巨大企業の利益であり、「譲る」のは日本の食と農の市場開放、そして「攻め」たてられるのは日本の農民と消費者、そしてアジアの農民である。
すでに砂漠地帯か極寒地帯の国なみの異常な低自給率にあえぎ、水田の四〇%を減反しながら要らない外米の輸入をおしつけられている日本を「農業鎖国」などというのは、“ガセネタ”以外のなにものでもない。それどころか「もうこれ以上『農業開国』は続けられない」――これが日本の農民と農業関係者、消費者のさしせまった願いである。しかし、こういう政策が強行されれば、日本の農業と食糧がさらに危機的な状況に追い込まれることは必至である。
それだけではない。すでにアジアは、穀物や大豆を輸入に依存する「世界最大の農産物輸入地域」(2)になっており、そのかわりに輸出用の換金作物作りを押しつけられている。日本政府の政策は、この傾向にいっそう拍車をかける。
世界の飢餓人口を半減し、根絶するという国際社会の公約に反して、飢餓人口は二〇〇三年、二〇〇四年と連続して増え続けている(3)。世界で最も豊潤な農業地帯である東南・東アジアで進んでいる現在の事態は、これに拍車をかけている。
私たちは、WTO・FTAと日本政府が追求する破滅的な方向に対する根本的な対案は「食糧主権」であると考える。私たちは、日本の農業と食糧をめぐる危機的な事態を直視し、アジアと世界に大きく目を開いて、「食糧主権宣言(案)」を提案する。
宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福もありえない」と書いた(「農民芸術概論綱要」)。これにならっていえば、アジアと世界の民衆全体が幸福にならないかぎり、日本の民衆の幸福もありえない。
この提案が、アジアと世界、そして日本の民衆が平和で豊かな暮らしを享受すること――食と農の面でいえば安全・安心な食糧を十分に摂取することができ、農林漁業がつちかってきた国土と環境を守ること――を願うすべての人々の討論と検討の礎になることを願ってやまない。
ビア・カンペシーナ国際フォーラム WTOから食糧主権へ
5月26日午前10時〜東京・豊島区民センター文化ホール
許すな憲法改悪!守ろういのちとくらし 5・27国民大行動
5月27日午前10時半〜東京・代々木公園
(新聞「農民」2006.5.22付)
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