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全国研究交流集会・特別報告

生産者・組合員の目線で野菜の増産を訴えて

和歌山・紀ノ川農協/宇田篤弘・山中富美子


 「地域の生産量を増やそう」「仲間を増やそう」と、昨年は野菜ボックス十万個を達成、今秋二十五万個をめざしてとりくんでいる和歌山・紀ノ川農協。「農民の目線で見れば、まだまだ作る人はたくさんいる」と宇田篤弘組合長。桃の専業(百五十アール)から今年初めて野菜づくりに挑戦する山中富美子さんは、「農民組合の仲間って家族のようなもの、安心して作れる」と語りました。

まだまだ作る人はたくさんいた/宇田 篤弘

 私は、このとりくみを通じて感じていることを発言します。その一つは、生産者の目線、思い、願いや要求に根ざした訴えができていたのか、ということです。供給が落ちているから拡大しようというような上からの勝手な構えがあったのではないかと反省しています。
 龍神村という山間地域は、生産者が非常に高齢化している地域です。物流にも耐え、冷蔵ができ、軽いものということで、九一年からピーマンを導入してきました。そこが近年になって生産者を倍ぐらいに増やしています。

 初めは、なぜ増えたのか判りませんでした。よく聞いてみると、高齢化でシイタケの原木の集荷が困難になった人、定年退職した土木労働者などが参加してきています。実は、三年前に入った農業委員の方が「ピーマン十本運動」を呼びかけています。まずは家庭菜園からということで。農地のない人には世話したりもして、今年とうとう生産組合をつくり、苗の生産も始めようとしています。

 その人が、「まだまだ、作る人はいっぱいいるんだ」と言うんです。僕らには作る人たちが見えませんでした。高齢化は大変だ、という思いが先行してしまいがちです。七十歳、八十歳になってもがんばれる人が目の前にいるのに、こちら側からその可能性を狭めていたんではないかと思っています。組合員、生産者の目線で見ていくことで、参加してくれる人がたくさんいる、まだまだ可能性が開けてくると、とりくみを通して感じています。

野菜作りがイヤだった私が…/山中富美子

 私が紀ノ川農協に入って野菜を作ろうと思ったきっかけは五、六年前、いきなり税務調査がきて、知り合いから農民組合に相談したらと言われたことから始まります。紀ノ川農協、農民連の方々は本当に親切に教えてくれました。
 でも、昨年の白浜で開かれた研究交流集会の後、県連の中山富晴会長に「野菜作ってくれへんか」と言われた時は、思わず「そんな面倒くさいこと、ようせんわ」と断ってしまいました。その時は本当に野菜を作るのがイヤだったんです。

 しかし、この頃は作ってみようかなあと思うようになりました。それは、つながりって本当に大切だなあと思うようになったからです。
 いま桃の木を切った十五アールの土地を整地して、帰ったら何を播こうかと思っているところです。
 昨日、中山さんに「何を播いたらええのんか」と聞いたら、小松菜やほうれん草がいいって教えてもらいました。

 私は野菜についてはまったく無知です。野菜づくりの先輩の方々から作り方を教わり、「耕運機も持っていってやろう」と言ってもらい、農民組合の仲間っていうのは本当に家族のようなものだと感じています。この親切のおかげで、初めは不安もありましたが、いまは安心して仲間に加えてもらっています。
 私が作ったほうれん草や小松菜が消費者の食卓に届く日を、今から楽しみにしています。

(新聞「農民」1999.9.6/13付)
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