農村と農民の権利の集大成
国連「農民の権利宣言」って?
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「小規模・家族農業守る」が世界の主流に
世界人権宣言、国際人権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約…。第二次世界大戦後、国際社会は、人権を守るための枠組みを大きく発展させてきました。
昨年12月17日、この枠組みに「農民の権利宣言」が加わりました。一体誰の権利を守るのか? その対象には、農民のほか、漁民、林業や牧畜を行う人々、食料や農業にかかわる産業で働く人々が含まれます。いわば、農山漁村地域に暮らす人々すべての権利を丸ごと守る枠組みです。
権利宣言はまた、食料と農業を守る世界のたたかいや豊かな議論の成果の上に成立しました。食料主権、十分な所得や人間らしい生活の権利、土地や種子、生物多様性に対する権利…。宣言は、食と農の権利を網羅しています。
今、世界でも、日本でも、「持続可能性」が焦点になっています。それを脅かしているのが、貧困、飢餓、貧富の格差や都市と農村の格差、地球温暖化と環境汚染、土地や種子の収奪です。権利宣言は、この深刻な危機を克服する手立てとしても期待されています。
新たな権利を付け加える上で大きな役割を果たしたのは誰か?
農民の権利宣言を成立させる原動力になったのはほかでもない農民自身でした。農民連が加盟する国際農民組織「ビア・カンペシーナ」が最初に提唱。その後、市民社会組織や研究者と協力しながら、デモや集会、政府や国連機関へのロビー活動を行い、08年には独自の農民の権利宣言案を発表しました。国連の会合では、この文書がモデルとなり、ビア・カンペシーナの代表も参加して、議論が行われました。
農民が主導してできた農村と農民を守る権利の集大成――これこそが農民の権利宣言です。
アグリビジネスの攻撃に
農民と市民社会が反撃
農民の権利宣言の背景にあるのは、アグリビジネスや新自由主義農政による農と食への激しい攻撃と、それに対する農民と市民社会の反撃です。
1986年から始まった関税貿易一般協定(GATT=ガット)ウルグアイ・ラウンド交渉が本格的に農産物を貿易自由化の対象にし、95年には世界貿易機関(WTO)が成立。これに対抗し、世界の農民組織をつなぐ国際的ネットワークとして93年、ビア・カンペシーナが誕生しました。
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ブエノスアイレス(アルゼンチン)で開かれたWTO第11回閣僚会議の際に、抗議デモをするビア・カンペシーナの仲間たち(2017年12月) |
ビア・カンペシーナが96年に提唱したのが、権利宣言にも盛り込まれた「食料主権」です。
「食料はどこで、どんな方法で生産してもかまわない。自由貿易が世界の食料問題を解決する」という「自由貿易」の論理に対して、安全かつ栄養豊かで、環境と文化に配慮した食料を持続的に得るため、食料・農業政策は、各国が生産者と消費者の声をもとに決める――。食料主権にもとづくビア・カンペシーナの運動は、国際機関や各国を動かしてきました。
「ヘッジファンドや投機家が2009年に、アフリカだけでフランスと同じ大きさの土地を買い占めた」。アナン元国連事務総長が農民からの「土地収奪」にこう警告したことがあります。
土地収奪は、食料と燃料生産用の土地確保のため、アグリビジネスが活動を強めたことで激化しました。
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農民からの土地収奪(国際NGO「グレイン」のウェブサイトから) |
種子の収奪も深刻化しました。多くの国で種子に対する企業の特許権が強化され、自家採種、種子の交換が禁止に。農民による伝統的農業の継続が危機に陥りました。ビア・カンペシーナは、「土地、種子に対する権利」を掲げて、たたかいました。
攻撃に対抗するために農民が主張した権利が、そのまま権利宣言に引き継がれたのです。
(新聞「農民」2019.4.22付)
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