「農民」記事データベース20180319-1303-09

東日本大震災・原発事故から7年
被災地の農業は今
(2/2)

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3・11をふりかえって

仲間の農業再開を見て
自分もやっぱり営農がしたい

宮城・東松島市 大野哲朗さん(62)

 宮城・矢本農民連会員の大野哲朗さんは震災前には、奥さんと二人で稲作を2ヘクタールのほかに、ハウスで菊と水菜の輪作を700坪ほど行っていました。2011年1月に地元の東松島市立沼地区の行政区長になることが決まり、前任者からの引き継ぎを2日後に控えていた3月11日に震災にあいました。

 移転は住民主導 地域で話し合い

 避難所では区長の大野さんをはじめ、農民連の会員が中心になって、要望を集め、地域の人の声を反映させてきました。「行政も大変な状態なので、要望をあげなければ進みません。地域ごとに避難者がまとまっていることや、避難者の声を取りまとめてやり取りする人がいることが大切です」

集団移転へ、区長として
住民のとりまとめに奔走

 住宅再建に当たっては集団移転の検討が必要でした。東松島市は2007年の宮城県北部地震で震度6強を観測したことがあり、その経験から、集団移転は住民主導で行いました。

 行政区長として住民の取りまとめに奔走した大野さん。「一人一人状況が違うので大変でした」と話します。「集団移転を希望したのは8割くらいだったのですが、家を建てたばかりで2重ローンになってしまうなどの理由で断念した人もいます。口には出して言えなかった思いもあったと思います」

 候補地のなかから地区で話し合い、津波が来たことのない二反走(にたんばしり)地区に決めました。立沼地区を含めた7つの地区が二反走に移転しました。

 大野さん自身は建物更生共済に入っていたこともあり、14年の9月には移転地に引っ越しできました。「津波で倉庫は2メートル近く浸水し、作業場とハウス、家の修繕などで数千万円かかる見込みだったので、まずは新しいところで家を再建することを優先しました」

 市が堆肥散布し改良剤も用意

 住居だけではなく農地も大きな被害を受けました。ハウスなどは全壊し機械も使えなくなりました。「収入がなくなり、土地も塩害が出ているので、後継者もいないことから、田んぼは全て中間管理機構に預けました。自分自身は11年の5月から大崎市内や地元の農業法人で働いていました」

市の農業復興策活用し
野菜づくりをスタート

 働きに出ているなかでやがて大野さんの心境に変化があったといいます。「安定した収入があるのはいいが、会社勤めは合わないと感じていました。ほかの人が再開したのを見て、自分一人でもできる範囲で再開しようと思い、17年の5月から土地を借りました」

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水菜の苗を見つめる大野さん

 この地域の被災した水田は基本的に中間管理機構が預かり、塩害対策工事や基盤整備事業が完了させ、地元の農業法人が無償で借りて耕作しています。畑は市が表土の入れ替え、堆肥の散布を行い、土壌改良剤も市が用意したうえで農業法人に無償で貸与して、農地の維持を支援しています。大野さんはこの法人から畑を借りて耕作を再開。「市としても、農地を荒らすより、耕作による税収が少しでもあればという判断だと思います」

 現在は、ハウス栽培の水菜を約5アールと露地でキャベツなどを50アールほど栽培しています。「もともと家屋があった土地で、市が表土の入れ替えや堆肥の散布などをしてくれているので、塩害の影響はなさそうです」と語ります。「自分ががんばった分が返ってくるのが良いですね。今は一人で耕作しているので、これ以上は増やせません。まずは目の前の野菜作りに精を出していきたい」

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キャベツ畑も元々は宅地でした

 震災を通じて人の絆が強く

 7年間を振り返って、大野さんは「失ったものは大きかったけど、人との絆を強く感じるようになりました」と言います。

 「震災直後は、県外ナンバーの車を見ると『見世物じゃない』という憤りがありました。しかし、農民連を通じて車を提供してもらったり、家の修繕などをしてくれたボランティアと接することで気持ちが変わり、7月くらいには『もっと現状を見てほしい』と思うようになりました」

 大野さん自身も自分の家の修理を後回しにして、区長としてボランティアの手配などに尽力しました。「地区の人に『あの時はお世話になりました』と言われることがあります。こうした『ありがとう』のやり取りが、地域の人もボランティアの人も、お互いに支えていたと感じます」

 「家族って良いなと強く思います。震災と津波を経験し、家族がそろっていればどこでも生きていけると感じました」と大野さん。「起きてしまった災害は仕方ありません、前を向いて地道に進むしかありません」と話していました。


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岡山市南区 中村和子
 
長野・小諸市 布施和子

(新聞「農民」2018.3.19付)
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2018年3月

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