東日本大震災・原発事故から7年
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行政区長として住民の取りまとめに奔走した大野さん。「一人一人状況が違うので大変でした」と話します。「集団移転を希望したのは8割くらいだったのですが、家を建てたばかりで2重ローンになってしまうなどの理由で断念した人もいます。口には出して言えなかった思いもあったと思います」
候補地のなかから地区で話し合い、津波が来たことのない二反走(にたんばしり)地区に決めました。立沼地区を含めた7つの地区が二反走に移転しました。
大野さん自身は建物更生共済に入っていたこともあり、14年の9月には移転地に引っ越しできました。「津波で倉庫は2メートル近く浸水し、作業場とハウス、家の修繕などで数千万円かかる見込みだったので、まずは新しいところで家を再建することを優先しました」
水菜の苗を見つめる大野さん |
この地域の被災した水田は基本的に中間管理機構が預かり、塩害対策工事や基盤整備事業が完了させ、地元の農業法人が無償で借りて耕作しています。畑は市が表土の入れ替え、堆肥の散布を行い、土壌改良剤も市が用意したうえで農業法人に無償で貸与して、農地の維持を支援しています。大野さんはこの法人から畑を借りて耕作を再開。「市としても、農地を荒らすより、耕作による税収が少しでもあればという判断だと思います」
現在は、ハウス栽培の水菜を約5アールと露地でキャベツなどを50アールほど栽培しています。「もともと家屋があった土地で、市が表土の入れ替えや堆肥の散布などをしてくれているので、塩害の影響はなさそうです」と語ります。「自分ががんばった分が返ってくるのが良いですね。今は一人で耕作しているので、これ以上は増やせません。まずは目の前の野菜作りに精を出していきたい」
キャベツ畑も元々は宅地でした |
「震災直後は、県外ナンバーの車を見ると『見世物じゃない』という憤りがありました。しかし、農民連を通じて車を提供してもらったり、家の修繕などをしてくれたボランティアと接することで気持ちが変わり、7月くらいには『もっと現状を見てほしい』と思うようになりました」
大野さん自身も自分の家の修理を後回しにして、区長としてボランティアの手配などに尽力しました。「地区の人に『あの時はお世話になりました』と言われることがあります。こうした『ありがとう』のやり取りが、地域の人もボランティアの人も、お互いに支えていたと感じます」
「家族って良いなと強く思います。震災と津波を経験し、家族がそろっていればどこでも生きていけると感じました」と大野さん。「起きてしまった災害は仕方ありません、前を向いて地道に進むしかありません」と話していました。
岡山市南区 中村和子 |
長野・小諸市 布施和子 |
[2018年3月]
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