東日本大震災・原発事故から7年
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東日本大震災から7年。被災地の農業はいまどうなっているのか。福島第一原発事故で避難を余儀なくされた福島県浜通り地域と、津波被害で田畑が壊滅的な打撃を受けた宮城県東松島市の現在をみてみます。
放射性廃棄物が詰まったフレコンバッグがうずたかく積まれています(飯舘村) |
2016年7月12日に居住制限区域と避難指示解除準備区域で避難指示が解除になり、翌17年4月には、小高区内の4つの小学校の児童66人が1カ所の小学校の場所で再開され、小中・高等学校も再開されました。また、区内に2つあった高校も、一つになり、小高産業技術高校として開校しました。
しかし、震災前1万2000人程の人口に対して、帰還した人は2300人ほどで、約2割弱といったところです。生活必需品の販売は3軒のコンビニエンスストアとNPOが運営している駅前商店が主です。周囲には空き家と荒れ地が目立ち、大半は不安を抱えながらの帰還のようです。
農業については、避難指示解除に伴って、2017年から販売目的の米の栽培もできるようになりました。
隣の農地に建てた農機具格納用のテント倉庫には、真新しい田植え機やトラクターなどの農機具が並んでいます。津波被害のあった苗用のビニールハウスも新たに建てました。道中内さんは、75歳を超えており、「一緒に暮らしている孫に期待している。やっぱり米作りは良い」と再開の喜びを語っていました。
コンバインに乗る道中内さん |
津波跡地は、まだ手付かずの状態で、田んぼの形も整っていないため、比較的津波被害の少なかった耕作可能な部分の農地を借りて、約2・1ヘクタールでのスタートとなりました。この地区で米作りを再開したのは、道中内さん一人ですが、2018年はさらに規模を拡大して、自分の農地が基盤整備事業を終えて再開できる日に備えています。
周囲の、除染され茶色い砂のような土を入れられた田んぼに、ナタネをまき、農地の再生を始めました。復興庁の復興加速化交付金によるリース事業で大型農機具を借り、2017年にはナタネの規模を、大幅に拡大するとともに、1・3ヘクタールの水田で稲を作りました。今年は、15ヘクタールのナタネと20ヘクタールの米の栽培を目指しています。
80歳になった忠吉さんは「農業をやる人が誰もいなくなってしまったから田んぼを借りたいだけ貸してもらえる。若い頃、規模拡大するのが夢だったが、こんな形で実現するとは。年は80だが、心は青年だ」と語っています。
今年からは息子の修一さん(50)も会社を辞め、合同会社の社長として金谷地区の復旧に当たることになり、拠点の一つとするべく、「野馬土」とともに、観光用施設を建設中です。福島においでの際は、ぜひお立ち寄りください。
テレビの取材に応じる佐藤さん |
[2018年3月]
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