「農民」記事データベース20110411-968-09

東日本大震災

やっぱり農業を続けたい(3/3)

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福 島

 浜通り農民連再建に駆ける営農の再開と復興を激励

   中井事務局長
 震災により避難生活を余儀なくされている福島県・浜通り農民連の中井信也事務局長は、ばらばらになった会員の安否確認と今後の営農について相談にのりながら、再建に向けて奔走しています。

 南相馬市にある中井さんの自宅は、地震による損壊は免れたものの、原発20キロ圏内にあり、避難勧告がでています。同市の農民連事務所は床が浸水し、直ちには使えない状態です。

 中井さんは3月28日、避難所となっている体育館、廃校などを回りました。受け付けを済ませて、避難者名簿に目を走らせます。会員の名前を見つけるとメモして、ただちに避難部屋を訪問。お互いの無事を喜び合いながら、他の会員の消息を確かめます。

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避難所で状況を聞く中井さん(左)

 相馬市の宮崎誠一さん(58)とは体育館で顔を合わせました。宮崎さんは、お父さんを津波で亡くし、家は全壊、水田も海水につかりました。「戻ったらまた農業をやりたい。田んぼも排水すれば何年か後には大丈夫ですよ」と、将来に目を向けます。

 また、津波や家屋倒壊などのような大きな被災は免れたものの、今年の作付けをどうするかで悩んでいる農家を1軒1軒訪ねました。

 新地町の稲作農家、只野泰隆さん(68)を訪問すると、農業用水の水路や導水管が地震で大きな打撃を受けていました。集落のダムから農業用水を引く地域だけでも500ヘクタールが送水できなくなっているといわれ、復旧には膨大な費用がかかる見込みです。

 只野さんは今年の作付けに不安を覚えながらも、「農民連の仮事務所の確保など、できるだけ協力したい」と力強く応えてくれました。

 さらに、中井さんは、放射能による風評被害や補償への不安を口にする農家に対して、「農家は作り続けるしかない。被害がでたら、国と東電にきちんと賠償してもらおう」と激励しています。

 当面やるべきことは、事務所の確保。会員にも協力をあおぎながら、再スタートの道を一歩ずつ歩んでいます。


 笑顔で救援物資を届けて町づくりへ新たな息吹が…

   国見・婦人会連絡協議会会長・安田節子さん
 「新鮮なお肉や野菜をはじめ、『体が温まる』と厚手の衣類が喜ばれています」。国見町の婦人会連絡協議会会長・安田節子さんは、佐藤力・国見町長の指示で、福島県農民連が救援物資保管のためにJAから借りている倉庫に物資を受け取りにきています。県連事務局の佐々木健洋さんから必要な物資を手渡され、笑顔で積載車に運びます。

 国見町は倒壊家屋が多く、震災のつめ跡が残っています。町内の文化センターには一時1700人が避難。その後、家に戻る人も増え、3月26日時点で、町民100人、町外の約30人が避難生活を送っています。

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救援物資を国見町に届ける安田さん(右から2人目)。左端は福島県連の佐々木さん

 安田さんは連日休みなく、被災者支援、炊き出しなどに奔走。「ボランティアの人もよく手伝ってくれて、一生懸命応援してくれています。被災者自身も協力してくれて、新たな町づくりへの息吹を感じます」

 農民連に対しては「気持ちよく救援物資を提供してくれているのは本当にありがたい。避難者からも感謝されています」と言います。安田さんは物資を車に満載にして、国見町の被災者のもとへと戻っていきました。

(新聞「農民」2011.4.11付)
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2011年4月

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