東日本大震災やっぱり農業を続けたい(2/3)
「顔の見える」「思いが伝わる」農民連の支援宮城県農民連は東松島や石巻市などへの支援活動に懸命に取り組んでいます。全国各地から届いた共同の熱い思いあふれる支援の取り組みを紹介します。
手づくり支援品 一日半もかけて大分・下郷農協震災から2週間がたった3月26日、下郷農協の4トントラックが、大分県中津市耶馬渓から1日半をかけて、東松島市の矢本西市民センターに到着。被災者も支援者も総出で、野菜などの支援物資を運びこみ、子どもたちはこいのぼりや学用品に歓声を上げました。
トラックに同乗して駆けつけた松本聡雄参事は、「急な呼びかけにもかかわらず、多くの組合員が協力してくれ、出発式には100人が集まって、送り出してくれました」と言います。「日持ちするものを手作りしたい」と、女性部で4500個も用意した小もちが、武田久夫さんら被災者にしっかりと手渡されました。被災者のなかには、「遠くから、本当にありがとう」と、目を真っ赤している人もいました。
野菜たっぷりの雑煮おいしいね 宮城へ山形庄内農民連「さあ、どんどん食べて。たっぷりおかわりしてね!」「ありがとう」――3月26日の昼ごはん時には、矢本西市民センターに、山形県の庄内農民連が炊き出しの支援にやってきました。もちをつき、野菜たっぷりの雑煮を特大のどんぶりで500人分振る舞うと、ホカホカの湯気のむこうに明るい笑顔が広がります。手伝いをしてくれた避難所の女性は、「野菜いっぱいで、本当においしい。2週間ずっと配給される食べものは、菓子パンと塩おにぎりだけだもの。こういう温かくて、新鮮な野菜が食べられる食事は本当にいいですね…」と、言葉をつまらせます。
庄内産直センター職員の菅原司さんは、「未曽有の大災害。同じ東北の人間として困っている人を少しでも助けたい。僕らにできるのは、まずはおいしいものをたっぷり食べてもらい、元気づけること。長いたたかいになりそうなので、1、2回で終わらせず、ずっと継続して支援に入りたい。財政がたりなくなったら、募金を訴えてでもこの支援を続けます」と言います。
阪神淡路大震災で世話になった長野県信濃町の植村さん長野県信濃町からも3回にわたって支援が届いています。中心になっているのは、阪神・淡路大震災時の兵庫県農民連の事務局長で、現在は長野県に住む植村一郎さん。「宮城県農民連には、阪神の震災の時、本当にたくさん支援物資を送ってもろて。今回の震災が起きて“とりあえず行かなあかん”思って、僕が所属しているテレマークスキーのクラブや、近所の友達に声をかけて、軽トラで7時間かけて駆け付けたんが、第1回かな」と、植村さんは言います。植村さんの呼びかけは、町長を先頭に自治体や観光協会まで乗り出す町ぐるみの支援に広がりました。3回目となった28日には2トントラックとバンに、町内のホテルや合宿施設のスタッフ、看護師など5人が乗り合わせ、山のような手作りおやき、寝袋、下着、自転車や2槽式洗濯機まで載せて駆けつけました。
鈴木弥弘事務局長いわく「植村さんは1日2回は“いま何が必要?”って電話をくれる」。植村さんは「自治体を通した支援も大切やけど、自治体の手の届かないような避難所や病院、保育園なんかが、支援を必要としていることもたくさんあるんよ。そういう所に、その時どきに必要なものを、直接に届ける“顔の見える支援”ちゅうんかなあ。“支援する側も、支援される側も、思いが伝わる支援”ちゅうんかなあ。そういうのがしたいんよ」と話します。 農民連の「顔の見える」「思いが伝わる」支援がいま、物心両面で被災者の支えになっています。
(新聞「農民」2011.4.11付)
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[2011年4月]
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