「農民」記事データベース20110411-968-07

東日本大震災

やっぱり農業を続けたい(1/3)

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 東日本大震災で最大の死者・行方不明者が出ている宮城県。衛星画像で確認できるだけでも耕地面積の11%が冠水・土壌流出するなど、農業・農地も甚大な被害を受けています。いまだライフラインも復旧しない地域が数多く残るなか、懸命の復旧活動に取り組む宮城県東松島市を訪ねました。
(満川 暁代)


被災の困難かかえても前向きな気持ち忘れない

宮城・東松島市矢本 被害受けた農民連会員

なんとかして生きていかねば

 「まずは生活の再建だべなあ。なんとかして生きていかねば」――矢本農民組合の大野哲朗さんは、津波で母を亡くした悲痛な思いを胸の奥にしまいこみ、しっかりした口調でこう言います。

 大野さんが避難している矢本西市民センターでは、隣接する立沼地区の住民180人のうち、約50人が避難生活を送っており、その多くが稲作とハウス野菜の農家とその家族です。農民連の会員も多く、大野さんは次期区長。現区長の奥田勲さんも会員で、休む間もなく避難所の運営に奔走する日々を送っています。

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矢本西市民センターに避難している立沼地区の皆さん。右から2人目が大野哲朗さん、4人目が奥田勲さん

 1回取っただけのハウスも倒壊

 同じく農民連会員で地域消防団の大野正志さんが、捜索活動の合間をぬって、立沼地区を案内してくれました。住宅などの建物はかろうじて残っているものの、1階部分は津波が押し寄せ、何もかもが流されるか、あるいは泥流に埋もれてしまっています。海岸線から2キロメートルはあろうかという仙石線の駅舎は跡形もなくなり、線路には漁船が乗り上げた姿で引っかかっていました。

 農地への被害も甚大です。60センチメートル近くも地盤沈下した水田は、いまだに海水が引かないばかりか、タイヤを上にしてひっくりかえった車や、根こそぎになった防潮林の松、原形をとどめぬガレキが散乱し、畦畔(けいはん)もわからないほどの土砂に埋まっています。キュウリやチンゲン菜を作っていたビニールハウスも無残に倒壊してしまいました。

 大野正志さんは、骨組みだけになったハウスを指さし、「あの1000坪のハウスは農民連の仲間のもので、まだキュウリを1回収穫しただけだったんですよ」と、無念さをにじませました。

 “逃げてーッ!”でも間に合わず

 立沼地区で、少なくとも20人以上の死者・行方不明者を出した津波は、人々の心にも大きな傷を残しています。住民の尾形敏子さんは「海が盛り上がって、津波が押し寄せてくるのが、道路から見えた。庭にいて津波に気づいていなかった嫁と孫に“逃げてーッ!”って叫んだけど、間に合わなかった。2人はまだ見つからない」と言います。

 「胸まで波につかったけど、庭木にしがみついて助かった。お隣の住人が津波にさらわれていくのが見えて、本当に怖かった」と、声を震わせながら話してくれたのは、武田とよ子さん。めちゃめちゃになった家の中を見せてくれましたが、さいわい家自体は無事のようです。「なんとか片づけて、ここに戻りたい」と、再び背筋を伸ばして話してくれました。

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人の背丈より高い津波に襲われた家の内部

 小さな畑でいいものを作りたい

 家族や家、農地、農機具などすべてのものが被災するという想像を絶する困難のなかでも、矢本西市民センターの人々に、意気消沈して投げやりになっている雰囲気はみじんもありません。なんとか生活を再建しようという懸命の模索が、矢本農民組合の会員のなかでも始まっています。

 「早く立沼地区に戻って、生活を再建し、農業を続けたい。それが僕らの生きる希望だもの」(大野哲朗さん)、「僕らは農民だから、最初はほんの小さな田畑でいい、家庭菜園でもいいから、ものを作りたい。もの作りができれば、考えも前向きになるし、自分を見失わないと思うんだ」(奥田勲さん)と、前向きな姿勢を忘れません。

 もちろん道のりは険しく、「集落を離れたくないが、一度被災した家にまた戻るのは、やはり迷っている」「避難所を出て、1人になるのがこわい。一気に落ち込みそうで」など、誰もが苦悩と迷いを抱えています。

 とりわけ多くの農家に共通しているのが、「被災した農地で、また農業ができるだろうか」「補償はどうなるのか」といった農業再建への不安と、「当座の生活資金をどうするか」という生活不安です。津波で父と妹を亡くした会員の武田久夫さんは、「後継者の息子に、農業技術と経営を引き継ごうとしていた矢先の被災だった。孫もまだ小さく、若い世代にはとくに大きな痛手になっている」と、不安を隠しません。

 それでも「こうやって集落みんなで支えあえるからなんとかがんばっていける。仮設住宅は、集落がバラバラにならないように、集落内にまとまって建ててもらおう」「それまで避難所を再編成しよう」などの相談が始まっています。

 道のりは長い全国から支援を

 宮城県農民連事務局長の鈴木弥弘さんが、「新たな農地整備にしても、塩害除去にしても、農業機械の再投資にしても、農業が再建できるようになるまで、行政や国がしっかり支援するように、おれたちも運動を起こしていかねば」と語ると、「んだんだ。個人の借金じゃ、誰も農業の再開なんてできないもんな」と、一様に力強くうなずいていました。

 しかし現状は深刻で、農業再建までにはまだまだ長期的な取り組みが必要です。「着の身着のままで避難してきて、震災直後から全国の農民連の皆さんが支援して下さって、本当にありがたかった」と語る矢本農民組合の皆さん。農業再建に、地域再生に、今後ますます全国からの支援と共同が求められています。

(新聞「農民」2011.4.11付)
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2011年4月

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