安全・安心 国産の食材を学校給食に(3)
“子どもらにできたての給食を食べさせたい” 「自校方式になった学校の子どもたちの“揚げ物の衣がサクサクしてておいしい”“ご飯がふっくらしてる”という感想を聞いて、本当にうれしかった。この運動をやってきてよかったとつくづく思うんです」。こう言うのは給食センター調理員、武島幸子さん。十八年、給食を作ってきたベテランです。 武島さんは、一度に大量に作るセンター給食を、「食事を作るというより、工場のよう」と話します。運搬時間の分、早く作りあげねばならないので手間をかけられず、なにしろ大量なので、食材も冷凍・加工食品が多く、輸入ものも多い。「六ツ割りにしてすでに揚げてあるナスが、冷凍でインドネシアから入ってくるのですが、マーボナスにしようといくら加熱しても“火が入らない”んです。そのうちドロドロになってしまって。子どもたちもたくさん残しました」。 センター給食はできあがってから食べるまで時間がたっているので、当然味も落ちます。揚げ物は上蓋から落ちたツユでベタベタ、青菜はまっ茶色……。「子どもたちに出来たてで、手作りの給食を食べさせたい。それが死に物狂いで署名を集めた私たちの思いでした」と武島さん。九八年初頭、真冬の寒さのなか、調理員や父母、市職員労組、新婦人などでつくる「古河の学校給食をよくする会」で署名が取り組まれました。 一カ月という短期間に、署名板を持って一軒一軒訪ねて、学校給食の大切さを訴えてまわりました。「今の若い父母は、学校給食どころか食べ物のことも本当に知らなくて、まず関心をもってもらうことから始めなければなりませんでした」。 そして九八年十二月、一万四千人の署名が添えられた「市の直営」「地場農産物の使用」「自校方式」を内容とする請願が、市議会で採択されたのです。学校給食は大きな「市民の声」として市長選挙の焦点にもなり、九九年に当選した市長は公約を守って、今年度、自校方式への転換が実現したのでした。 運動の始まりは八三年四月、市長が突然、学校給食の民間委託を発表したことにさかのぼります。当時は母親運動を中心に市職労組、生協などで請願署名が取り組まれ、一万六千余の署名が集まり、八七年の議会で「将来は自校方式に」という項目だけが分離採択された経緯がありました。 しかしその後、給食問題は改善されず、九六年、全国でO―157が大発生。給食の安全性が大きな社会問題になるなかで、古河市のセンター設備の老朽化はいよいよ深刻な状況でした。 「このまま黙っていたら、センターの建て替えと同時に本当に民間委託になってしまう」。毎日、設備の故障に悩まされながら作業をする調理員さんに、危機感が広がっていきました。「調理員のなかに新婦人の班ができて米産直が始り、食べ物や農業についてみんなで学習していくなかで、少しずつ職場の雰囲気が変わっていったのだと思います。“子どもたちの給食を作る”という自分たちの仕事に、大切さと誇りを感じるようになったんです」と武島さんは振り返ります。 センターでは、いま残留農薬が大問題になっている冷凍ホウレンソウもよく使っていましたが、「農業が盛んな県なのに冷凍なんて」と調理員・栄養士さんたちが必死に運動し、六年前から生鮮に切り替えられたという経験もあります。 今年は、小学校二校で自校調理が実現。食材は基本的にセンターと同じで、調理員も各校とも嘱託職員二名、以前は配膳係のパートだった二名、栄養士も嘱託契約と体制は不十分ですが、子どもたちには好評です。 「市は財政難ですし、まだまだ油断はできません。食材など、これからも一つ一つやっていきます」。運動はまだまだ続きます。
(新聞「農民」2002.7.1付)
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[2002年7月]
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