もしそのとき日本の農業・農民は……まさに国民総動員体制の戦争法案(2)
朝鮮戦争下の実態歴史の証言
朝鮮戦争下での実態はどうであったか典型的な事例をいくつか見てみましょう。 ■農地奪い空軍基地拡張★…農民と直接かかわったのは伊丹空港の拡張問題です。伊丹空港は占領時代に米軍に接収された飛行場。朝鮮戦争の時には、神戸港を拠点地とした米空母の搭載機も離発着する重要な空軍基地。朝鮮戦争が膠着状態にはいり、拡張されることになりました。一九五一年十月に突然占領軍は千八百メートルの滑走路を三千メートルに拡張するための現地調査を開始しました。拡張のために農地を失ったり、転業を余儀なくされる農家が八十七戸、立ち退き二戸、かんがい用水路の取り壊しで影響を受ける農家は約二千戸に及ぶと言われました。当時、兵庫県の日本共産党県議であった井之口薫さんは「伊丹空港は都市のまん中にあり、爆音公害などがひどく、何回も県議会で取り上げてきた。拡張の時も反対し、農民や住民に拡張反対のビラを撤いたりして運動した。基地周辺の十一市町村も協議会を結成して交渉した。地元の住民や農民の抵抗も強く、拡張は中止になった」と語っています。 ■恐怖の米兵反乱事件★…「完全武装をしていた。彼らは民家を襲った。夏の宵のことで、戸締まりしていない家が多かったから侵入は容易である。武装された集団の略奪と暴行が、抵抗をうけずにおこなわれた」住民を恐怖に陥れた事件を松本清張は小説『黒地の絵』で描いています。朝鮮出撃港である福岡県小倉に三個大隊の「黒人兵」が搬送されてきました。一九五〇年七月十一日にちょうど祇園祭で賑わう小倉に武装したまま集団脱走約百六十人の米兵が米軍鎮圧部隊との市街戦を繰り広げたり、婦女暴行、強盗を行いました。こんな無法な事件を起こしながら米軍は、翌日には朝鮮に出動させました。■米軍機あいつぐ墜落★…米軍機の墜落で死者も出ました。埼玉県入間市では、米軍機が一九五二年に墜落、乗員、住民含めて十七人が死亡、七戸が全焼するという惨事を起こしました。また、東京・砂川地域でも墜落で百余戸が大被害。■船舶の入港不能に★…長崎県佐世保市では一九五〇年一月に「永久に平和港として育成する」という平和宣言を出した直後に佐世保を出撃・兵たん拠点にされ、民間船舶が排除され、商港としての機能が停止。セン水艦入港防止のためにワイヤ製金網が張られたために民間船舶は入港不能に。東京湾にもワイヤが張られ、漁民は漁もできなくなる事態が発生しました。■従軍看護婦を動員★…傷病兵の激増に伴い、日本に続々と搬送され、日赤の看護婦が動員されました。日赤本社の命令で「国連軍」病院へ”出征”した看護婦もいました。当時は占領軍病院が十四ありましたが、現在では米軍病院は沖縄、横須賀、横田、三沢しかありません。百人程度の日赤看護婦の協力ですみましたが、今後はそうはいかなくなります。
(新聞「農民」1999.5.3付)
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