語り継ぐ満蒙開拓
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満蒙開拓青少年義勇軍の証言を集めた「みやぎ憲法九条の会」発行の資料集 |
数日ぶりで帰った訓練所は、日本の終わりを早く知った現地人にすっかり荒らされ、見るも無残な光景でした。そこで初めて敗戦の知らせを受けました。鎧袖(がいしゅう)一触、無敵を誇った関東軍もあえなく敗れ、食堂に集められ、教官は、流れ落ちる滂沱(ぼうだ)の涙をぬぐいもせず、拳を握り締め、声を震わせて敗戦を伝えました。あの形相は今なお鮮明に脳裏に焼きついて離れません。
ソ連軍による虐殺を恐れる私たちは、身にまとえる最大のものを抱え逃避行に入りました。夏草の生い茂る中を背負えるだけ背負っての当てのない彷徨(ほうこう)。苦しさに泣き出す子もいました。
しかし、あちらの高級指揮官の判断でこれは軍人ではない、子どもであるという判断の結果、釈放となりました。その後南満州の奉天(現在の潘陽)に到達するまで40日かかり、食うや食わずの毎日を過ごし、冬の迫る12月にようやく日本人避難民の収容所に入りました。
そこで前述の悲劇が始まりました。訓練所での劣悪な食生活から尾を引いた揚げ句に流浪、彷徨の生活ですっかりやせ細った体にさらに追い打ちをかける寒さと病気、不衛生、医師も薬もなく、体中しらみを飼い、そこで私たちの仲間の約半数の90人が帰らぬ人となりました。
明日はわが身の環境の中、虚空をにらみ、母を呼び息絶えた友たち、存命なら83歳になっていたであろう痛惜とあてどない憤怒はわが生涯のものです。
しかしこの悲劇、惨禍を伝える語り部も間もなくいなくなります。風化を遮るための微力になることを祈って拙文を呈します。
2013年盛夏
〈注〉連載(中)に出てきた38式歩兵銃とは、明治30年(1897年)日露戦争の時点で使用したものを明治38年(1905年)に改良した歩兵銃。台座を含めた全長は1276ミリ、着剣まで1663ミリ。重量は4100グラム。私の身長は1490ミリですが14歳当時は1450ミリくらいと推定され、当然着剣時は頭の上。実弾の重量は判然としませんので、知っている方はお知らせください。仮に一発20グラムとして100発で2キロ。銃+弾=6100グラム。これを14歳の少年に担がせた事実は後世のために残したい。
佐藤三吉 Tel・Fax 0224(72)6054
[2013年9月]
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