「農民」記事データベース20100621-929-17

食健連

国民の食料と健康
守る20年のあゆみ(1/2)

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 全国食健連(国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会)は1990年3月25日、各地で取り組みが始まっていた国民の食糧と健康、農業を守る運動の、恒常的な全国連絡センターとしてスタートしました。それから20年。食健連運動が発展する転機となった3つの取り組みを紹介します。


米輸入阻止で海上デモ

波間にたなびく農民のムシロ旗、
労働組合の赤旗

 1984年、中曽根内閣は農民に減反を強制しながら、米不足を理由に韓国から15万トンの米を緊急輸入しました。横浜の港湾労働者は、「日本の主食を守ろう」と海上デモを計画。その時、米価闘争で上京していた東北の農民が合流して、7月25日、歴史的な労働者と農民の海上デモが行われました。

 波間にひるがえるムシロ旗と赤旗。船上でガッチリ手を握る労働者と農民。デモの申請を受け付けた警察官は「労働組合もたまにはいいことやるな」と。港湾の労働者は、船に慣れていない農民が海に落ちないようにロープを張ってデモを成功させました。

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赤い旗に緑の旗、そして青い海。−「前に進むってことは、気持ちいいもんだ!」

 これをきっかけに、「農は港にあり。米だけじゃない。輸入される農産物は港に野積みされ、とても食べられたもんじゃない。国民に知らせよう」と、港見学が実現しました。「安全・安心な食料は日本の大地から」という世論を大きく作り出しました。


米輸入自由化反対の行動

日本を揺るがした10日間
WTO批准に怒りの集会

 1993年12月14日、細川内閣はガット・ウルグアイ・ラウンド最終合意案を受け入れ、米の自由化に踏み切りました。食健連・農民連は12月6日から10日間にわたって「米輸入自由化阻止、日本農業を守る」行動を展開。茨城のお母ちゃんたちは雨でずぶぬれになりながら国会前で座り込みを行うなど、「日本を揺るがした10日間」として、今も語り継がれています。

 翌年には、「米の自由化が決まったとあきらめてはいけない。WTO協定の国会批准を阻止しよう」と、全国で反撃を開始。その怒りが爆発したのが10月8日の1万人集会(東京・猿江公園)でした。

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全国の“かかし”も登壇。−「オレにも何か言わせろ!」

 村山内閣のもと、WTO協定と関連法案は強行されましたが、「これぞ、国民規模のたたかい」といわれた一連の運動は、「農産物の輸入自由化やめよ」の新たなたたかいに引き継がれました。

(新聞「農民」2010.6.21付)
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2010年6月

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