外米の輸入やめなければ
汚染米の真の解決はない(2/2)
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米自由化は歴代政権の“流れ作業”
農業再生 輸入促進“悔い改め”てこそ
汚染米問題では、その4分の3が輸入米です。「カビ毒や残留農薬で汚染された米まで、なぜ輸入を許可したのか」―それは、政府がWTO協定を受け入れて、ミニマム・アクセス(MA)米の輸入を「義務だから」とかってに解釈して、輸入を強行したからです。
そして、“米自由化”を推し進めたのは自民党ばかりではありません。年表からもわかるように、政権が「非自民」の細川内閣や社会党党首の村山内閣に代わっても、その流れを押しとどめることはできなかったのです。
そのなかで、一貫して反対してきたのが日本共産党でした。中林よし子衆院議員(当時)は1999年3月、MA米が「義務ではない」ことをはじめて国会で明らかにしました。
“総選挙近し”ということで、各政党は「戸別所得補償」(民主党や公明党)などを打ち出していますが、過去におこなってきた「米の自由化」、輸入促進への“悔い改め”がなければ、食料自給率の向上も日本農業を本当に再生することもできません。
【年表】
米の自由化を推進した歴代の政権党
1987年4月 日米農相会談で、アメリカ側が「米の市場開放」を要求
1991年12月 ガット事務局長のダンケルが「例外なき関税化」を提案
1993年7月 東京サミットで、年末までにガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の終結を表明(自民党・宮沢内閣)
1993年10月 作況74の大凶作、米の緊急輸入へ
1993年12月 細川内閣(民主党の前身、公明党、社会党)、米の自由化を受け入れ。ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉が終結
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1993年12月、国会前座り込み。いまでさえ当たり前の国会前座り込みですが、当時はご法度でした。初めての座り込みは、農民連が決行。国会の守衛さんも「オレも農家の出。みなさんの気持ちはよくわかる」と陰ながら応援してくれたそうです
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1994年4月 WTO協定に署名
1994年5月 羽田内閣(民主党の前身、公明党)が「MA米は義務輸入」との政府統一見解を国会に提出
1994年12月 村山内閣(社会党、自民党、新党さきがけ)が米自由化のWTO協定批准を強行
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1994年12月、「WTO協定の国会承認は強行するな!」(農水省前)。秋田のなまはげも“怒ったゾ!” |
1995年1月 WTO発足、協定発効
1995年4月 MA米の輸入開始
1997年11月 農水省「新しい米政策」決定(自民党・橋本内閣)
1998年11月 「農政改革」大綱を決定(自民党・小渕内閣)
1998年12月 「米の関税化」を決定(自民党・小渕内閣)
2003年6月 コメ流通
業者を届出制に。政府の監督責任を放棄(自民党・小泉内閣)
2008年7月 WTOドーハ・ラウンド交渉で、MA米をさらに拡大して100万トン以上輸入することを容認(自民党・公明党の福田内閣)
◇
「民主党の前身」とは、新生党、民社党、社会民主連合、日本新党、新党さきがけ
自民政策引き継いだ非自民内閣
1993年12月14日未明…。「非自民」を看板に掲げて自民党政権(宮沢内閣)から代わった細川内閣が、なぜ米の自由化を受け入れたのか。
それは、8党連合で発足した際、「外交・防衛など重要政策は、原則として、今までの国の政策を引き継ぐ」ことにしたためでした。
そして94年6月、今度は自民党が巻き返して社会党、新党さきがけと連合した村山内閣を誕生させました。しかしこの村山内閣もこの方針を受け継ぎ、WTO協定の国会承認を強行したのです。
(新聞「農民」2008.10.27付)
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