飢餓なくし、食料主権の確立へ
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ここでは、バングラデシュ独立(一九七一年)後間もなく、外国資本や世界銀行が入り込み、八千ヘクタールものマングローブ林を半年で伐採し、エビ養殖場を作った。しかし、養殖場はわずか四、五年で薬漬けになり、使えなくなりました。同時に、排水の垂れ流しによって、魚もとれなくなったといいます。
真嶋 米でも「緑の革命」の導入が一九五九年と早く、在来種がほろびつつあったけど、国も大学も知らんふりだった。
坂口 そこで「ユビニグ」が、絶滅の危機にひんしていた在来種を回復させる運動にとりくんだ。農家が保管していた種子を全部出してもらい、実際にセンターで栽培してみて、品種の適性や収量を確定し、現在では、塩田の後に植えても育つ稲八十種を含め、ナヤクリシ全体で二千種類の在来種を固定することができたといいます。そして、在来種同士で品種改良にとりくみ、収量が高いものは十アール七〜八百キロ、平均五百キロ取れるということです。もちろんモミですが、かなりの水準です。
市川 実際に圃場と「種子バンク」を見せてもらいましたが、しっかり管理していましたね。センター周辺で栽培して採った種子をつぼや瓶に詰めて保存し、農民に無償で提供して収穫後に同じ量を返してもらう。しかも収量などをしっかり記録してもらう。そして、種の管理者が女性だというのが印象に残りました。
「われわれには補助や融資をするお金はない。もっぱら科学的な分析と情報を提供して、村人の自主的な判断にゆだねるだけだ」とも話していました。私は思わず「あなたたちの運動には哲学と科学がある」と言いましたが、ナヤクリシには、種の問題だけでなく、学ぶべきものがたくさんあると思いました。
センターの責任者で私たちを案内してくれたティトさんは「売ることや効率性を追求するのはわれわれの目的ではない」と強調していましたが、米や牛はかなり高い収量・乳量を実現していたし、「自給経済」では確保が困難な塩や薬(薬草)の確保にも努力していた。
坂口 一枚の圃場に何種類もの野菜を植え、どういう組み合わせにしたら病気に強くなるのかという実験をして普及するというのもすごいと思いました。
また、共同体的な村落のなかにナヤクリシ運動を広めていくのに、センターのなかに学校を作って運営することが条件になっています。
市川 それは女性の声から出たもので、女性問題でも担当者がいて女性が生き生きしています。
真嶋 私が感心したのは、女性に牛を一頭ずつ与えること。ミルクも取れるし堆肥も作れます。
女性だけの集会で「ナヤクリシに参加してよかったと思うことは何ですか?」と聞いたら、出費が減った、土壌が豊かになった、女性の仕事が認められるようになった、種の管理が女性の手に戻った、女性の仕事が増えた、男と女の関係がよくなった――と口々に言っていましたね。
市川 持っていったコシヒカリでご飯を炊きたいと言ったら、台所を貸してくれました。炊き口が一つで、上が二つに分かれているかまどで、煙突があり熱効率が良い構造です。向こうでは、洗ったお米をお湯に入れて、かき混ぜていて、ゆでるといった感じ。料理は、ほとんどカレー味。カリフラワー、トウガン、ジャガイモなどを細かく切るから火が良く通り、早く料理ができます。
真嶋 貧困国の代名詞のように言われるバングラデシュですが、その先入観は見事に裏切られました。アジアの農村を何カ所か訪ねましたが、あれだけ美しく豊かな農村を見たのは初めてです。
ファハドさんは民衆会議の間も「政治」と「平和」を強調し、ナヤクリシの運動についても「これから国の政策にどう反映させていくかが課題だ」と言っていた。同時に「農民の運動というなら種を守るべきだ」とも。我田引水かもしれませんが、農政運動で旗を振るだけではなく、地に足をつけてやっている「ユビニグ」の運動と、「ものを作ってこそ農民」という私たちの運動は相通じるものがあると思いました。
市川 ファリダさんが「一度来ただけでは単なる旅人。二度、三度と来て初めて友人になる」と言っていました。あの美しい農村にまた行きたいですね。
[2005年1月]
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