新潟県中越地震 現地リポート農民連の救援物資次々被災地へ新潟県中越地方に地震が発生した翌々日の二十五日、農民連本部の笹渡義夫事務局長と、農民連ふるさとネットワークの渡辺満広さんとともに、被災地の長岡市と小千谷市に入りました。現地をリポートします。
余震続くなか長野から満載トラックあったかおにぎりに涙する女性私たちは二十五日早朝、東北新幹線で東京を出発し、郡山で車に乗り換え、磐越自動車道から北陸自動車道に入り、およそ五時間かかって現地に入りました。まず、三条市にある農民連の県央センターで新潟県連の和田忠敏事務局長はじめ現地の人たちと打ち合わせを行い、被災地にいる会員の状況や全国から寄せられる救援物資の受け入れ体制などを話し合いました。そして、受け入れ場所を長岡市の石橋幸男さん(長岡支部長、日本共産党市議)宅にお願いし、さっそく石橋さんを訪ねました。
「長野のおにぎり」激励に大きな拍手一方、長野県連の宮沢国夫事務局長から、「信州北部農民組合の二人がおにぎりとリンゴなどを積んで長岡に向かっている」との情報。この第一陣は、交通規制を受けながら四時間余りをかけて、夕方長岡入り。さっそく、長岡市内の避難所のひとつになっている北中学校に、おにぎり約三百ケース(二個入りパック)を届けました。市の担当者の話では、「きょうは二食分しか配給できなかった」とのことで、温もりが残るおにぎりは、大変喜ばれ、笹渡事務局長が被災されたみなさんに、お見舞いと激励、そして「長野からおにぎりを届けに来ました」とマイクで話すと、体育館に大きな拍手が響き渡りました。そして、おなかをすかした子どもたちが駆け寄ってきました。また、私たちが体育館から出ようとすると、おにぎりを持った女性が駆け寄り涙をうかべて、何度も何度もお礼を言っていました。 二十六日には、農業被害を調査。田んぼには液状化によって砂があちらこちらで噴出し、陥没や隆起の個所も。また水路には液状化で噴出した土砂が流れ込み、破損も深刻。田んぼを不安げに見る農家は、「雪が降り積もる前に復旧しないと、田に水がきちんとはれるかどうか」と、来春の農作業に支障が出ないか、心配していました。
無償で協力するホテル社長さん一方、長野県佐久楽農倶楽部は、早朝六時に「中越地震救援隊 農民連・長野県佐久」と大書きの幕を付けた四トントラックに救援物資を満載して出発。お昼前に長岡に入りました。佐久楽農倶楽部では、会員に救援活動を呼びかけたところ、四十一人が集まり、できたおにぎりは二千五百個。ホテルの社長さんが百五十キロの米を「金はいらない。炊いてあげます」と協力。「軽井沢から会員でもない人を含めて五人も来てくれた」など、次々と野菜や毛布を持ってきてくれて、「みんなのボランティア精神に感激」。こうして集まった救援物資は、全村あげて長岡市内に避難している山古志村の人たちに届けられ、「あったかいおにぎりだ」と喜ばれました。しかし、豚汁の用意(カット野菜となべ、ボンベなど一式)をしてきたのに「学校の敷地内では火は使えない」と断られ、せっかくの善意が「無」になり、持ち帰ることに。 午後からは、昨日に続いて長野県信州北部農民組合の物資が到着。佐久楽農倶楽部のトラックとともに、雨の中、被災の大きい小千谷市に入りました。
田んぼが液状化、陥没・隆起“来年コシヒカリ作れるか…”心を込めて届ける物資と熱い気持ち道路には亀裂が入り、マンホールがいたるところで突き出し、町全体が停電しています。ビニールハウスや車のなかで生活している姿が痛々しい。市役所の指示で、すべての物資を社会福祉協議会に届けました。被災地は強い余震が続き、不安の中での避難所生活が強いられるのだろうと思うと、どう励ましていいのか言葉がみつかりません。しかし、農民連の会員が心を込めて届ける救援物資とあたたかい気持ちは、被災した人たちに届けられ、心に染みています。そして、ものをつくる農民の組織だからこそできる活動は、農民連の存在感を大きく高めています。
(新聞「農民」2004.11.8付)
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[2004年11月]
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