「農民」記事データベース20030127-571-10

「農の考古学」を読んで

江川 友治(元明治大学教授、土壌学者)

関連/農の考古学(第1回)


 一介の土壌学者で、考古学の専門家でもない私が、「農の考古学」を毎回熟読したのには理由がある。それは私が若い頃、ベトナムの安南山脈の中央高原、プレクー、コンツム省の赤色土を追って歩き回った時に見た山岳民族(モイ族)の姿と、その高床住宅の強烈な印象である。その住宅は、静岡の「登呂遺跡」と酷似していた(写真参照〈写真はありません〉)。ふんどしを締めて腰に蛮刀をまきつけた精悍な男たちの顔は日本人によく似ていた。メコン河とその河すじの高原には、中央アジアから数千年にわたって多数の民族が移動した。安田徳太郎氏の『人間の歴史』によれば、日本人の祖先もこのあたりの森を切り、土地を耕していたのかもしれない。

 彼らは私を歓迎し、土壌採取を手伝ってくれた。その住宅は清潔で、菜園にはバナナ、パパイヤなどが見られ、付近の耕地には陸稲が作られていた。高床住宅は、雨季の湿気から人間と穀物を守り、野獣の襲撃に備えたものであろう。高床住宅とふんどしを伝えた民族こそが日本に農耕を初めて伝えた民族ではないか、などと私は採取した土壌を積んだジープの中で考えたりした。

 その後、日本の赤色土の成因をめぐって論争があり、さらに、考古学者の方からのお誘いもあって、私は稲の日本史について興味を抱いた。詳細に書く余裕はないが、藤原宏志氏の『稲作の起源を探る』(一九九八)や、佐藤洋一郎氏の『縄文農耕の世界』(二〇〇〇)などの優れた解説書が刊行されて、この問題に新しい光をあてたことは周知のとおりである。

 本来、農業は、アメリカ主導のグローバリズムや効率一点張りの市場経済万能論では論じられない性格を持っている。しかし、小泉内閣やマスメディアは、「日本農業の閉鎖性」なるものを強調し、稲作農業の構造改革を謳っている。

 このような主張は、一九九三年のウルグアイラウンド受け入れ当時から一貫している。当時、われわれ農学者は、五千名近い研究者の連名で自由化に対する危惧を述べた声明を発表したが、これに対して最も不可解な対応をしたのは、マスメディアであった。

 ただ、現在の構造改革路線は多くの分野で破綻しており、農民運動が広範な国民の支持を受ける条件は存在している。頭の中でのみ考え、論理を組み立てる人たちに勝つのは、現場で苦闘している人々の実情を、幅広い国民に知ってもらうこと以外にはあるまい。時間はかかっても、歴史はいつもそうした道を歩んできたと、八十五年生きてきた私は確信している。

(新聞「農民」2003.1.27付)
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2003年1月

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