新連載農の考古学(1)稲作の歴史をたどる私たち日本人にとって稲作は特別の重みを持つ農業です。稲作は日本人の主食の米をまかない、田楽や神楽の農耕の祭など、豊かな日本文化をはぐくむ基礎になってきました。水田は環境保全でも大きな役割を果たしています。その稲作が米自由化と小泉内閣の米「改革」で危機に直面しています。
(1) 日本の米はジャポニカ種私たちが日本の米の味をかみしめる出来事が一九九四年にありました。前年の九三年の冷害で米が不作となり、多くの国民が緊急輸入された外国産米を食べる体験をしたのです。あの時に食べたタイ米はパサパサして粘りがなく、独特のにおいがありました。栽培稲の亜種はインディカ種とジャポニカ種に分けられますが、タイ米はインディカ種の米です。一方、私たちが日常食べる米はジャポニカ種の米。粘りがあり、ほんのりとした甘みがあります。においもほとんどありません。タイ米を食べたことで、私たちは日本の米のおいしさを再認識しました。 インディカ、ジャポニカを判別することが、稲のプラント・オパール(植物珪酸体)の形状を調べる方法や、DNA(デオキシリボ核酸)分析で可能になりました。また各地の稲作生産遺構(水田や畑)の存在も明らかになってきました。 プラント・オパール分析の研究では宮崎大学農学部の藤原宏志教授(同大学長)が第一人者で、DNA分析では静岡大学農学部の佐藤洋一郎助教授が知られています。 日本での稲作農耕は長い間、弥生時代から始まり、定着していったという説が有力でしたが、いまでは縄文時代後期後半(今から三千五百年ほど前)に稲作があったとする説が有力です。 プラント・オパール分析やDNA分析では、縄文時代、弥生時代の遺跡の米にはジャポニカ種が多く、それも現在水田で栽培されている温帯ジャポニカではなく、熱帯ジャポニカがかなり多いというのです。 (つづく)
(新聞「農民」2002.3.4付)
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[2002年3月]
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