「農民」記事データベース20030106-569-02

新春インタビュー

井上ひさしさんの“体験的農業論”と“世直し論”(2/2)

関連/井上ひさしさんの“体験的農業論”と“世直し論”(1/2)


 イギリスやドイツは自給率一〇〇%に

 あのイギリス、ドイツで戦後の一時期、食料自給率が下がった時のうろたえ方は大変でした。ドイツは自給率が八〇%を切って六〇%に近づき、イギリスなどは六〇%以下になった時期がありました。それで国民皆で「自分たちの食べる大切な物は、自分たちの手で作ろう」と立ち上がりました。政府と市民と農民が力を合わせて努力した結果、いまでは一〇〇%を超えています。だから日本も本気になれば十年もかからずに自給率一〇〇%を実現できると思います。休耕田を元に戻すのは大変ですけれど、何とかなると思うんですよ。問題は政府の方針を変えさせることですね。

 いま消費者がかなり目覚めてきたというか「自分たちがしっかりしないと、自分たちの食べ物が正体の分からないものになってしまう」と、都会の奥さんたちがとても勉強しています。一時期よりも希望が出てきたと思います。

 「遺伝子組み換え」作物から「狂牛病」問題、さらに「レッテルの張り替え」食品とか、そういうものが「反面教師」となり、「私たちは正体の知れない物を食べさせられているんでは?」と食べ物についての関心を高めてきたことが”救い”だと思います。消費者が農家と手を結べば、日本の農業も希望が出てくるんではないでしょうか。

 心配なのは農山村がさびれていくこと

 ただ気になることは山村です。農業や林業の人たちのほとんどがダムや道路づくりをする建設作業員になっています。かなり厳しい状況です。

 私が農業で一番大事だと思うのは、そこに住んでいる人々、つまり水田や畑を耕作する人というのは実は住んでいるだけでなくて、そこにある昔話や言い伝え、食べ物から言葉など、すべて背負って仕事をしています。「文化」というのは人間以外、絶対伝えることができないものです。「文化」の定義は難しいんですが、私なりに解釈すると「日常生活の習性の束(たば)」だと思っています。朝何時に起きて、歯をみがき、顔を洗い、そして仏壇にお茶を上げて鐘をチーンと鳴らして、ご飯を食べてと毎日繰り返していることが実は文化なのです。どんな物を食べ、どんな生活をしているのか、それらがすべて文化だと思っています。

 そういうものを人は背負っているので、ある山村なり農村なりが一つ消えていくと、そこの文化が全部なくなってしまうのです。ある山村では、「村を返上したい」というところも出ていますから、とても心配です。「文化が大事だ」とかいって、文化芸術振興基本法なるものができていますが、実は農山村から文化が消えていくのが恐ろしいのです。

 ヨーロッパでは「文化財保護委員」の扱いを

 ところが、ヨーロッパの人たちの考え方は違います。人間は皆、都会に住みたいわけです。でも農山村にとどまって仕事をしている人たちは「半分公務員」だという考え方なんです。ですから、その人たちの生活を国で保障していく。大事な文化財を保護する役割を果たしてもらっているという発想です。

 日本でも少しずつ、都会の人たちが分かってきたようです。この頃「グリーンツーリズム」とか言われるようになりました。でも日本の田園や地方へ行っても、あまり面白くないんですよ。そんなお金があるなら、海外旅行へ行こうという人たちが多い。そして「ヨーロッパの田舎や地方は美しい」とか言っている。日本は自然を保護する社会資本(インフラ)が整備されていないと思います。

 ですから、日本の海岸線の六〇%はコンクリートとテトラポットで囲まれています。なぜ、そんなことをするのか。農水省と昔の建設省OBが天下っている会社がたくさんあって、その会社の経営のために海岸線をコンクリート化せざるをえない事情がある。

 それから日本に二百三十三の一級河川がありますが、そのうちの二百三十までがダムか流路変更のために、とにかくコンクート化されています。手つかずの河川はたった三つしかないそうです。日本人は、この五十年の間、やたらとコンクリートを流し込んだり、ベタベタと塗りたくったりして、七百万人の建設関係者を食わせてきたんではないかと。でも、その七百万の人たち、家族を含めると二千五百万もの人の生活を「やめろ」というわけにはいきません。これはかなり難しい問題を含んでいます。

 予算の四〇%も公共事業に使う国は日本以外にない

 日本では国の歳出予算の四〇%が建設…つまり公共事業に回されています。アメリカでは予算の八%から一〇%、イギリスとフランスが四%から六%です。

 いわゆる先進国と言われている国の中で、歳出予算の四〇%も公共事業に使っている国は日本以外にありません。その公共事業費をつぎ込む時に「口効き料」と言ってネコババする連中がいる。この構造を何とかしないといけません。

 かつて「農業に税金を使いすぎる」という論調に反論して、私は「道路は莫大な税金でつくられる。それを自動車の価格に反映させれば一台数千万円にもなる」と書いたことがありました。

 私は、このお金を本当に必要としているところにつぎ込むべきだと思います。その時に農業の問題が出てくるわけです。もちろん農業だけでなく私たちの暮らしや文化、教育、産業振興などに対して有効な使い方をする必要があります。

 言いかえれば「税金と私たちの財産、国有財産の再分配の方法」を徹底的に根本から見直すべきだと思います。農業問題だけ何とかしようというのではなく、公共事業のあり方とか、建設業のあり方とか、コンクリート業界のことなど日本の構造自体を変えないといけないということです。

 私はあまり信頼していませんが、ノーマン・ボーロという一九七〇年にノーベル平和賞を受けた人、あの「緑の革命」をやった人ですね。あの人が、最近出している数字で「食料不足に悩む国々の五六%は内乱に見舞われている。栄養に不足のない国で紛争をかかえているのは八%である」と言っています。つまり、「それぞれの国の安定というのは、食料があるかないかに相当影響されている」と。これは、かなり説得力があるなと思っています。

 とにかくコンクリートを必要でない所に使わないと生活できない人たちが家族を含めると二千五百万人もいますし、山村では建設作業員にならないと暮らせない人たちがいます。そして減反と輸入食料の増加で苦しむ大勢の農民がいて、日本の食料自給率は下がる一方です。このままでは「食(職)の安定」は危うくなります。

 やはり政権党を変えないと世直しできない

 私が不思議でならないのは、バブル期にあれだけもうけたお金がどこに消えていったのか。それから瀬戸内海の小さな島(豊島)に不当投棄された産業廃棄物、ダイオキシンや鉛のゴミが十一メートルの山になっていたのに、その罰金がわずか五十万円です。香川県はなかなか責任を認めず、皆が騒ぎだしたので、ようやく動きだした始末です。

 また国を相手どって訴訟を起こすと、何だかんだと理屈をつけて九五%は敗訴にされる。一方、国が負けそうになるケースだと、ものすごく裁判期間をかけるんです。水俣病の時のように四十年もかかりました。

 これらの底流には「何が何でも産業界の利益を守ろう」という、政府というか代々の政権を担ってきた人たちの方針、政策があるわけです。それが農業や文化、教育などすべての分野に及んでいます。これは自民党がいいとか悪いとかいうだけではなく、やはり政権党を代えないと良くならないと思います。

 これは政党間で競争しながら国全体の進む方向を正して、税金と国有財産の再分配をする。皆に少し不満があっても、国民大多数が納得できるものにしていく。実は、それが問われているのだと思います。そういう中で農業問題に対する解決策が出てくるんではないでしょうか。

 だから私も一生懸命、農業のことを考えているのですが、農業だけを切り離して考えても名案が出てきません。国民皆が「どういう国に住みたいのか」「それほど贅沢(ぜいたく)でなくても安心して暮らしたいのか」「値段が安くなくても安心して食べられるほうが良いのか」、一人ひとりが自分に問うという、今はそういう時であると思っています。

 現在の政治状況を見ると、「国民が大事だ」と言いながら、実は逆の方へ「国づくり」が進められているような感じがします。日本農業を救うには、この国を救うという視点を持って”世直し”をしていく以外にないと私は思います。

(文 責) 角張英吉
(写 真) 関 次男

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(新聞「農民」2003.1.6付)
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2003年1月

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