「農民」記事データベース20030106-569-01

新春インタビュー

井上ひさしさんの“体験的農業論”と“世直し論”(1/2)

関連/井上ひさしさんの“体験的農業論”と“世直し論”(2/2)


〔プロフィール〕 一九三四年、山形県生まれ。上智大学仏語科卒、作家・劇作家、日本ペンクラブ副会長。六四年から五年間、NHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を山元護久と共作し、大ヒット。七二年「手鎖心中」で直木賞を受賞。以後、多く小説や戯曲で読売文学賞、日本SF大賞、吉川英治賞、菊池寛賞などを受賞。八四年にこまつ座を旗揚げ。座付き作者として「頭痛肩こり樋口一葉」「きらめく星座」「連鎖街のひとびと」「太鼓たたいて笛ふいて」など数多く書き下ろして上演。八七年に故郷川西町に「遅筆堂文庫」を開館。この文庫を拠点にこまつ座主催の「生活者大学校」を毎年開校している。


 農民運動全国連合会の皆さん、新年おめでとうございます。日本の農業も大変ですが、倒産する中小企業が続出し、リストラで失業する人が増えるなど、いま私たちを取り巻く状況は、大変厳しくなっています。では、どうしたら良いのでしょうか。これまで農業問題について若干発言してきた者の一人として、私の”体験的農業論”と”世直し論”めいたものを語らせていただきます。

 戦争で農家の男集がいなくなった村

 私は山形県の米どころで小さな集散地があった町に生まれ育ちました。周りが全部田んぼで、私の友達のほとんど半分くらいが農家の子どもたちでした。

 戦争中でしたので大人たちは次々と召集されていきましたが、農家の人ほど戦地に送られ、町の旦那衆や若旦那たちは居残っていました。農家の友達の兄さんたち、お父さんたちが戦争に出かけていって、小さな町から男衆がいなくなるわけです。なんで農家の男たちばかり姿を消してしまうのだろうと、子ども心にとても不思議なことでした。

 戦争で、農村の働き手がいなくなるものですから、私たち小学生、当時は国民学校といっていましたが、三〜四年生になると農家へ手伝いに行かされました。学校からの割当で、出征兵士の出ている農家に住み込んで、田植えとか田の草取り、刈り入れの手伝いをしましたが、とくに夏の暑い中での田の草取りが辛かった。

 北国なのに夏は妙に暑い土地でして、ボロボロのランニングシャツを着て、裸足で田んぼに入るんですが、稲の穂先がチクチク刺さるのと中腰にかがんで作業するので、その労働の辛さが子ども心に焼きつきました。その時に「こんなに辛い仕事をやって米を作っているんだ」ということを教えられました。これが私の農業原体験です。

 体は小さいのに老人の顔をした少年

 ガルブレイズという有名な経済学者がいます。彼はカナダの農民の長男でした。しかし頭のいいことを利用して、辛い農作業から逃げるためにハーバード大学へ入ったんです。彼が後に「それが農民に対する負い目である」「あんまり仕事が辛いので農業を捨てた」と語っているのを読んで、「なるほどな」と思いました。

 あの頃、クラスの農家の子どもたちを見ていて不思議に思ったのは、体は小さいのに老人の顔をしていた子がいたことです。年に不相応な力仕事をしていると、顔も老化してしまうんですね。そういうのを見ているうちに「これは大変な仕事をしているんだ。そうやってお米を作っているんだ」という思いを子ども心に抱いたのが、私が農業問題に関心をもった最初です。

 それから昭和二十八年(一九五三年)に、私はたまたま岩手県にいたんですが、県民が食べるお米をやっと自給できるようになった記念に、盛大なお祝いがありました。戦争中から戦後へかけて「米さえあれば何とかなる」とずっと米づくりに取り組んできて、昭和三十五年(一九六〇年)に日本全体で米の自給率が一〇〇%になります。

 ここまでが、ほとんど理屈抜きの、私の「体験的農業論」です。

 農業基本法では農協に歯がゆさを感じて

 ところが、その年に農業基本法というのができてきて、それがかなりアヤシイものでした。お米が自給できた瞬間に「国際分業」というか、「農産物は労賃の安い国で作り、日本みたいな労賃の高い国では工業製品を作ればいい」という方針が出されてきたんですね。あの頃、側でハラハラしながら見ていましたが、農協がもっとしっかりすべきだったと思います。お米が大事なことは皆分かっているんで、それをストレートに出してくれればよいのにと、歯がゆく感じました。

 その頃から少し理論的な勉強をするようになりました。いまでは皆さん、よくご存じのように、お米は収穫するまでの間に様々な社会貢献をしていきます。水田のダム効果とか酸素の供給とか、景観とか環境保護などに重要な役割を果たしています。そういうことを、しきりに勉強しては都会の人たちにも訴えてきました。

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(新聞「農民」2003.1.6付)
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2003年1月

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