敬愛する井野隆一兄を偲ぶ東洋大学名誉教授・農民連顧問 重富健一
さる七月一日、本紙(七月十六日)にも既報のとおり、井野隆一顧問が急逝されました。 六月半ば、井野さんから「肺炎で入院中」との電話があって、私が見舞ったのは同月十九日。そのときは顔色や話し振りも、ふだんとそう変わらず、本人もわりとお元気で「近日中に予定の精密検査の結果待ちだ」などと話していました。それから一週間後の二十六日、本人からまた電話で「検査の結果、肺など数カ所にガンの転移があって、当面、抗ガン剤での治療を続けるそうだ」などという話でした。それでもまだ、とくに異変は感じられず、とりあえず励ましの言葉をかけ、できるだけ早めに、またお見舞いしようなどと思案したところでした。 と、その矢先でした。七月二日朝、こんどは令息の耕一さんから「昨一日夕刻、父が息を引き取りました。三日に通夜、四日に告別式……」などという悲痛な電話でした。 故人の輝かしい学業について、私から改めて紹介の必要はありません。それは著書『日本農業 存亡の危機と展望』で九三年(第十八回)と同じく『戦後日本農業史』で九七年(第二十二回)の二度にわたって野呂栄太郎賞を受賞するという快挙に象徴されているように思います。ただ、このさい私なりに、次のことだけは補っておきたいと思います。 故人はその専門の農業・食糧問題の理論・政策活動にあたって、科学的社会主義にもとづく変革の立場を一貫して堅持してきましたが、そのさい、理論と運動の弁証法的な相関にとりわけ留意し、自らもできるだけ、その運動に係るよう努めてきました。農民連の前身「農民運動の全国センターを考える懇談会」(略称・農民懇、八四年〜八九年)での常任世話人としての活動は、その代表的事例でしょう。農民連発足にあたって顧問に推挙されたのは、その労に報いたものでした。 故人の学業の数々、農業・食料運動をはじめ各種の大衆運動への参画と協力、日本共産党への支持・後援会活動、さらには、多くの人々に敬愛されたその温厚、誠実、謙虚なお人柄についても、まだ書きとめたいことは沢山ありますが、もう余白がありません。 故人が生前、こよなく愛し、嗜(たしな)んだクラシック音楽とコーヒーの香りを偲びながらお別れとします。八十一年余の生涯、とくに戦後五十余年にわたる多方面での献身的なご活躍と業績、ほんとうにご苦労さまでした。有難うございました。安らかにお眠りください。 (七月二十日記)
(新聞「農民」2001.8.6付)
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[2001年8月]
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