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食建連、農民連、日本AALA連帯委代表

食と農をめぐってローマで国際交流

96食料サミットNGO議長のオノラティ氏らと懇談

 食健連と農民連、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(AALA)は、来年二月に予定されている国際シンポの成功のために、九六年のローマ世界食料サミットのNGO(非政府組織)フォーラムの議長をつとめたアントニオ・オノラティ氏と交流するために、ローマに代表を送りました。

 食健連からは坂口事務局長が、農民連からは小林代表常任委員と真嶋事務局次長が、そしてAALAからは幸野副理事長が通訳を兼ねて参加しました。

 十月二十四日から二十九日までの慌ただしい日程でしたが、幸野さんの名通訳で貴重な成果を得ることができました。


日本の食料・農業の危機的状況は全く知られていない

 イタリア農民同盟(CCDD)〈二十五日〉や国連・食糧農業機関(FAO)〈二十五日〉、世界食糧計画(WFP)〈二十八日〉などとの、いずれの話し合い・交流でも、日本の食料自給率が異常に低いこと(カロリーベースで四一%、穀物自給率で二八%)と、水田の減反が四割近くに及んでいるという私たちの話に非常に驚いていました。そして、オノラティさんは「これまで、FAOや私たちは、食料主権とか食料安保は途上国の問題としてしか考えていなかったが、先進国にも視野を広げた論議が必要だ」と認識を深め国際的にももっと展開すべき論点だと強調していました。

WTO協定以後、世界の食料援助は大幅に減った

 WFPは「WTO協定が結ばれたら、世界の食料援助が減り、穀物の価格が上がるだろうと予測していたが、その通りになった。そして援助でなく貸し付けに代わった」と嘆いていました。

 私たちが「WTO(世界貿易機関)は、食料輸出国優先で、輸出押し付けの自由化を考えているだけで、二十一世紀の世界の食料問題など頭にないのだ」という指摘にうなずいていました。

企業が遺伝子を買い占めるのを憂慮 国際植物遺伝資源研究所

 二十七日に訪問した国際植物遺伝資源研究所(IPGRI)は、モンサントなどがWTOの知的所有権協定を利用して、インドで作られていた作物の遺伝子の特許をとって独占するという動きを非難し、植物の遺伝子をできるだけ保存しようと努力していました。

 同研究所のメインスローガンは「多様な遺伝資源の保存」ですが、「そういう努力などしないで、無数にある遺伝子のうち、一〜二の遺伝子を組み換えるとは…」と軽蔑していました。ここでは大いに意気投合して、研究者たちは「今後も交流したい」とか、シンポにはメッセージを送ってもいいような口ぶりでした。

イタリアでも硝酸塩の地下水汚染が大きな問題

 二十七日、朝六時半にホテルで朝食をとって、朝市に出かけ、午後からラッツィオ州(ローマ市のある州)の庁舎へ。農業大臣は「売り込みで日本の京都へ行くのは気が進まない」といいながら出張して留守でしたが、農業大臣が職員二人を私たちの滞在中、専門に面倒をみるように配慮してくれたことはありがたいことでした。

 大臣不在のため、次官が州の農業政策を説明してくれましたが、「有機農業」を強調しました。詳しく聞いてみると、化学肥料を使わないということは、突き詰めれば地下水が硝酸塩に汚染されて深刻な問題になっているのが動機とのことでした。

 雨量が日本の三分の一ぐらいで、飲料水を川からとることができず、地下水に頼っていること、日本では水田や川で硝酸態チッソが硝酸還元菌によって遊離チッソとなってしまうのとは事情が大きく違うことがよく分かりました。

 小さな農家に対するキメ細かい政策があるようでしたが時間不足で聞くことができず残念でした。

 次官から、ヴェルディの歌劇「アイーダ」のCDを贈られました。さすがオペラの本場、気のきいた贈り物だと感心し、その夜、さっそく聴きましたが、戦勝国エジプトの将軍と敗戦国エチオピアの王女(捕虜・奴隷)の「命をかけた恋とはこういうものか」と思わせるようなアリアでした。

 日程がぎっしり詰まっていたのでミラノのスカラ座へ行って観ることもできず、遺跡の中に街があると言ってもいいようなローマで、車の中からカメラを向ける日々でしたが、このCDはそれらを補い、旅の無聊(ぶりょう)を慰めるものとなりました。

 過密スケジュールの割には皆元気に帰れたのも、オノラティさんのおかげで大きな成果があったせいだと思いました。

(小林/新聞「農民」1999.11.15付)
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1999年11月

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