54回目の終戦記念日「無言館」が問いかける平和の尊さ、戦争の空しさ戦没画学生慰霊美術館平和と生へのメッセージを語りかける戦没画学生慰霊美術館「無言館」を五十四回目の終戦記念日(八月十五日)にあたりリポートします。
かつて鎌倉幕府の危機に際し、「いざ鎌倉」と一族を挙げて駆けつけ滅びた塩田北条氏の拠点、信州の鎌倉と呼ばれる長野県上田市塩田平。広大な水田を見渡す丘の上に、戦没画学生慰霊美術館「無言館」はあります。 絵筆を銃に持ちかえ戦場へ無限の可能性を持ちながら、その才能の発揮を許されず、絵筆を銃に替えて戦地で死なねばならなかった画学生たちの遺作、パレット、イーゼル、手紙などの遺品を展示する美術館です。「無言館」は、これも若くして死んだ画家、村山槐多(かいた)らのデッサンを展示する「信濃デッサン館」館主の窪島誠一郎氏が、その分館として一九九七年開館したものです。 「あと5分、恋人を描きたい…」と窪島氏が墓場をイメージしたという、むきだしのコンクリートの十字形の美術館の小さな入り口を入ると、そこには、外では出征兵士を送る“歓呼の声”が響くなか、「あと五分、あと十分恋人を描き続けたい、必ず帰ってこの続きを描くから」と言い残し、二十七歳でフィリピンで戦死した日高安則の「裸婦」。架空の豊かな家族の団らんを描いて感謝の意を表した絵。飛行服姿の若者の絵はペイントが剥げています。戦後直後の社会状況のもと、巻いて隠したのでしょう。痛んでも捨てられなかった遺族の心を垣間見せています。彼らの無言の訴えに鑑賞者も無言。その心情を思いやり涙ぐむ婦人もいます。参観者の胸打つ無念の思い出口に置かれた何冊もの感想ノートには、「戦没画学生の生への息吹を感じ、平和の大切さを痛感」など、またぞろ若者を戦争に駆り出そうとする政治を許さない決意などが書かれていて今こそ必見の美術館です。館内には、無言館建設資金に協力した有名無名の人々の名を刻んだレンガの壁があり、今も協力を呼びかけています。入館料は決まりがなく、退館時に自由な金額を払います。 (T)
なお農民連全国交流会のオプションツアーでも「無言館」を訪れ(Cコース)ます。
(新聞「農民」1999.8.16付)
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[1999年8月]
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