和歌山・紀ノ川農協を訪ねて(下)地域に野菜作り呼びかけて1年斉藤敏之(産直協事務局長)
「売れれば作る」と目を輝かして打田町の理事の高橋敏夫さんを中心とする班は、兼業農家の生産力を引き出す取り組みを強めている。兼業農家の山口貴子さんは、野菜ボックスの提起で、初めて小松菜を播いた。「葉物は設備投資しないで作れるから良い」と言う山口さんは、今年はパートに出ないで野菜を作るとも言う。
奥礼子さんも、高橋さんに、タマネギは重いからブロッコリーを作らないかと勧められ、作ってみたが、「ほんとうに軽くて助かっている」と言う。
粉河町の兼業農家・森田法子さんも「桃と柿の収穫、稲刈りが終わってからミカンの収穫と出荷、その合間にホーレン草を十五年間作り続けてこれたのは、作れば出荷できる紀ノ川農協があったから」「ボックスは励みになる。いろんな野菜を作れるから」とも言う。 ミカン専業から野菜との複合経営へ紀ノ川筋をまわって気がついたのは、六〜十種類くらいの自給野菜を作っている農家の多いこと。その生産技術の継承が、地域の野菜作りの下支えをしていると思う。
粉河町の西野弘久さんはミカン専業から、十年前に野菜作りを始めた専業農家。西野さんは「果樹は一年一回だが、野菜は最低三回収穫できる。傾斜のきついミカン畑はやめ、休耕している水田を借りて野菜作りをしている」と話す。 野菜ボックスの取り組みに企画の段階から参加した青年部の吉岡利晃さんは、那賀町で四百三十アールの果樹専業の後継者。大根と菜花を出荷し、野菜作りのおもしろさも分かった。でも、この地域に根付いている果樹を生かした経営も捨てがたいと悩んでいる。 同行した宇田篤弘組合長によると、キウイは、一般市場が輸入もので価格が頭打ちになっているとき、紀ノ川農協は、消費者に無農薬と味でアピールし、いまでは年間五百トン以上の販売先を確保した。しかし、生産は三百五十トンしかない。これを消費者の要望に応えられる生産量にまで持っていきたいと強調していた。
五万枚のビラを見て参加した中に、ある町の若妻グループの一人がいた。この人が、グループで話し合い、普及センターを通じて「紀ノ川農協に説明にきてほしい」と要請があった。 多様な産直運動の探求へ多くの教訓野菜ボックスの要請を受けた紀ノ川農協は、役職員と女性部・青年部による特別チームを作り、関係生協の役職員との相互交流を積み重ねながら、ボックス供給の企画立案を進めた。同時に、野菜の生産量を上げるために地域に五万枚のビラをまき、那賀町や普及センターのバックアップで、地域ごとの説明会や技術講習会も開いた。 さらに、二十数年の実践で、紀ノ川農協は、地域農民から大きな信頼を得ていた。その総合的な力によって、野菜ボックスは取り組まれた。
だが、これは決して「紀ノ川農協だからできたということではない」と、和歌山県連の中津孝司書記長は言う。
この「生産と消費のギャップ」は、紀ノ川農協だけにあるのではない。
(新聞「農民」1999.8.2付)
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[1999年8月]
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