ただいま農業初体験中ですソバ打ち、大豆畑で汗流す栗田さん(29歳)、故郷・秋田へUターン
栗田健一さん(29歳)。今年の三月、ふるさとの秋田県雄勝町にUターン、さっそく農民連に加入、大豆畑トラストに参加しました。 実家は非農家ですが、現地の農民連が減反田をあっせん、大豆の播種を終えました。生活のめどもたてたいと羽後町そば処「弥助そば」に師事、修行をかさね、一人前のそば職人に成長しました。雄勝町の国道十三号線にできた「道の駅」レストランで「こまちソバ」として好評を得ています。 朝六時から、その日の注文に応じてソバを打ち、その後は大豆畑での作業が日課。初めての農業体験ですが、蒔いた大豆の芽が青々と育っていました。 栗田さんは、都留文科大学を卒業後、小学校の臨時教員を勤めたあと、神奈川県の家具輸入会社に就職。家具の材料を輸出する外国の山の荒廃を思い、食べ物について不安をいだき、「自分の食べ物は自分でつくりたい、自然農法に興味を覚えた」と帰郷した思いを話してくれました。 地元の農民連の支援もひとしおです。みんな、自分の息子のように“地域の後継者”を見守っていました。栗田さんは新聞「農民」を四部配達しています。この新聞で全国の情報を知り、大豆畑トラストを成功させたいと決意を語ってくれました。 (秋田県連・佐藤長右衛門)
長年の夢かない意欲満々神奈川の横山さん、定年前に岩手に移住「大自然のやすらぎのもと、余力を持って農業にチャレンジしたい」と、横山照さん(55)は神奈川県藤沢市から岩手県一関市に移住してきました。里山の自然が残り、人情の厚いこの地は、横山さんが探していた場所に限りなく一致しました。「いま耕している農地はほんの少しで、趣味の範囲だけれども、作ることがすごく楽しく、長い間の夢が近づきかけている」と話します。 一九四三年に横浜市鶴見で生まれた横山さんは、見渡す限り焼け野原となった街や、朝鮮戦争の時、米軍のものものしい移動に幼い心を痛めつつも、横浜の霧笛に情緒を感じながら育った都会っ子です。大企業のサラリーマンとなり、労働組合運動に専念。マスコミなどを通して米問題には関心を持っていましたが、農業はまったくわかりません。環境問題や農民一揆などの歴史を調べていくうちに、農民運動もやりたいと思うようになりました。 宮城県の農家で生まれた祖父母からは、「一粒のお米だって粗末にしてはいけない」と言われて育った横山さん。「農業があってこそ、都会の人たちが生きていられる。いま農業が抑圧されているなかで、都会の人たちが無関心ではいられない。自分で食う物は自分で作りたい」という思いがつのってきました。 「人生は一度、チャンスは一回。抱いている夢はなんでもやりたい。経験もしてみたい」と、六十歳の定年を前に会社を辞めた横山さんは「これからは都会と農村の架け橋になりたい」と意欲満々です。 (阿部四郎)
(新聞「農民」1999.8.2付)
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[1999年8月]
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