和歌山・紀ノ川農協を訪ねて(上)地域に野菜作り呼びかけて1年斉藤敏之(産直協事務局長)
一年前、紀ノ川農協は、生協との野菜ボックスを取り組むに当たり、五万枚の新聞折り込みで「野菜を作りませんか」と地域に野菜作りを呼びかけた。 「野菜が足りない」を共通の認識にして紀ノ川農協は、九〇年代に入ってから、高齢化などによって「重量物」を中心に生産量の不足が顕在化。そこで、いままでの個人的なつながりを生かした組合員拡大と合わせ、「地域農業全体をどうするか」という観点から、組合員拡大と生産拡大の目標を掲げた。また、九四年には、那賀町や農業改良普及センターなどとともに「有機の町」宣言を行い、町ぐるみの運動に発展させた。
ちょうどそのころ、各地で農協の大型合併が続き、その合併農協が、生協への細かな対応よりも、大型流通を志向していることに危惧を持った生協が、紀ノ川農協を「二十一世紀につなげる産直組織」と位置づけはじめた。
そこで、ともかく農地を持ち農業をしている人に、一畝でも二畝でも野菜を作って、紀ノ川農協に出荷してもらうように呼びかけることになり、九八年春、紀ノ川沿いの町村に、五万枚の新聞折り込みのビラが配布された。これが生産拡大への大きなインパクトとなり、女性部と青年部の奮闘によって、様々なドラマが始まった。 野菜ボックス通し消費者とふれあいでも、その不揃いのものを、中・小二株で一株分の「親子ターサイ」や、小さい株三株で一株にした「孫ターサイ」など、ボックスならではの工夫で、逆に消費者に喜ばれ、ボックス野菜を通じて消費者とふれあうことで、野菜作りへの確信が生まれている。この親子の農業生産への確信の根底には、紀ノ川農協の存在と、地域農業全体をどうするかという視点から、様々な施策を行っている那賀町「有機の町宣言」の運動がある。
那賀町では、中山間地のせまい耕地を生かした生産対策に力を入れている。 生産ふやそうと女性らを励ましミカン十アールと水田三十アールに水稲と裏作にタマネギを作っている粉河町の国本加律子さんは、いままでタマキギを収穫しあぜ道で産地業者に売り渡していた。近所に住む理事の児玉努さんはビラに刺激され、国本さんに、重いタマネギではなくホーレン草を作ってはどうかと勧めた。 児玉さんは、国本さんに作り方を手ほどきし、忙しい時には手伝いを行って、出荷時には自分の荷物と一緒に農協に運んでいる。少しでも生産を増やすためには、農協として、生産者が出荷しやすい形態を探求することが大切だと思うからだ。(つづく)
(新聞「農民」1999.7.26付)
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[1999年7月]
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