活かそう遊休・荒廃農地長野・栄村農業委が村長に提言集落の現況、詳しく調査/具体的な活用策しめす
長野県栄村は新潟県境にある山間の豪雪地帯。つづら折りの山道を登っていくと山の頂近くまで棚田が続いています。栄村は、民主村政が十年つづき、住民を主人公とした集落営農による農業振興策をすすめています。その中で、同村の農業委員会は、増え続ける耕作放棄地を何とかしようと、五月二十七日、「活かそう遊休・荒廃農地〜農地の有効活用と地域活性化を目指して」と題する調査書を村長に提出しました。
同調査書は、村内の比較的まとまって荒廃している十二地点の現況と、その所有者(農家)百二十人の意向、それらを踏まえた集落ごとの方策が考察されています。農業委員会の島田重政会長は、「われわれ農業委員会が、みずからの目で荒廃農地の現状を確かめ、所有者の意向を把握し、その活用方策を何とか見出したいとの思いから実施した」といいます。
栄村はこれまでも、村単独の小規模土地改良事業(「田なおし事業」)や、集落営農システムをつくることにとりくんできました。設計業者に頼らず、熟練のオペレーターが農家の希望を聞きながら作業をすすめ、農家負担をできるだけ減らす「田なおし事業」は、全国的に注目されています。 島田会長は、「田なおし事業は、二百七十ヘクタールあった荒廃農地のうち百六十ヘクタールまですすんできた。残りについても、集落営農をさらに推進して活用をはかっていきたい」と語っています。 (二瓶)
苦労し切り開いた農地、何としても……栄村農業委会長 島田重政さん(73)私が、荒れた土地をなくしたいと思う理由があります。ここは戦前まで米が自給できない村でした。この上に野々海川という川がありますが、そこに堰堤をつくって、やっと山の上まで田んぼを開くことができるようになりました。戦後まもなくの頃のこの事業は、村をあげての大事業だったのです。小学校の遠足にも小さな物資を持たせ運びました。当時二十歳代だった私も、千曲川の石や砂利を馬の背に乗せ、千メートルの標高まで一里半の山道を通いました。みんな「自分たちが食べる分の米をつくりたい」という思いでがんばったのです。 ところが、堰堤ができあがるとじきに減反の押しつけが始まりました。私は、苦労して切り開いた農地を何としても守っていきたいと思っています。
(新聞「農民」1999.6.14付)
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[1999年6月]
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