戦争法案、断じて許さぬ
被害者はいつも国民自らの戦争体験もとに告発する野本家六さん(埼玉農民連副会長)私は昭和十五年十一月、日中戦争の最中、「東洋平和のため、天皇陛下のために身命を捧げることはこのうえない名誉なのだ」と信じきって、中国大陸に向けて戦争に狩り出されていきました。入隊して三カ月目に討伐の名で出撃した際、自動小銃で銃撃され、三カ月入院しました。まだ治りきらないうちに原隊復帰して、間もなく第二次長沙作戦に参加、激戦の末、眉間に自動小銃の弾を受けて負傷しました。一人さまよい歩いているうちに中国国民党・将介石軍の捕虜となりました。日本軍にとって捕虜になることは、「最大の侮辱、国賊だ」とされていた、その捕虜になったのです。故郷へは、戦死の知らせが入っていて、盛大に村葬も行われ、お墓も建てられたのです。 軍隊生活一年、捕虜生活丸四年の体験の中から得たものは、戦争というものがいかに人間を狂わせてしまうかということです。武器を持ってよその国へ出かけていって征服することが何で正義などと言えるでしょうか。戦争で犠牲になるのは、いつでも何の罪もない国民です。 ましてアメリカが勝手に引き起こした戦争に自動的に参加させられる新ガイドライン法は、どんなことがあっても許すわけにはいきません。戦争に前方も後方もないことは、第二次世界大戦でいやというほど体験させられてきているのです。 私は侵略戦争の犠牲者の一人として、一度戦死した一人の人間として、何も知らずに戦死をした戦友になり代わり体をはって、この無謀な戦争法案を撤回させるまで、みなさんと一緒に頑張る決意です。
戦争で息子を夫を奪われた悲しみ、もう二度と……5月7日の女性大集会に参加した浦田さん(東京農民連)本当に、いま、この新ガイドライン法案に反対するために生きてきた、そう思います。いままた戦争が始まる気配がします。私は戦争世代で、男の人はみな学徒動員で兵隊にとられました。母親たちは一人目の息子が戦争にとられ、二人とられ、気付いたらみんな戦争に巻き込まれてしまうのです。だから戦争にならないうちにがんばって反対しなければ。いまは女性も選挙権があります。女の人、若い人にこの新ガイドライン法案の危険性をわかってほしい。ネムの墓 浦田フミ子
戦争法反対行動起こそう富山県農民連副会長 渡辺直義(89)=手記=新ガイドライン法を強行通過させたあまりの仕打ちに全身の血のかけめぐりを何としても抑えられない。第二次大戦中、一億総決起で庶民に襲いかかった軍政が、今やUSAの配下となって動く現政府の手で推し進めようとする国民総動員体制である。その先鞭が朝鮮戦争で姿を現したと新聞「農民」はいう。米兵が農家に食料供出で強圧をかけてきた事実は、まさに第二次大戦中の日本の軍政が農家にかけた供出、強圧とどこが違うであろうか。 私は第二次大戦中、中国北部に位置する地で鉄道職員として生活した。八分づき赤皮の残る南方米が、食料として軍を通じて配給された。主食として七年間も食し、故郷富山に帰ってから芋づる混じり、高粱まじりの飯で生活をしのいだ。 今日、輸入一辺倒で日本はUSAの顔色を見て国政を行う政府の下でやられているが、こうした状況の中での食料自給率四〇%にもならぬ食料生産である。このうえ、米軍政で供出ということになれば、全身の怒りで身震いするのを抑えることができない。 われわれ農民は、座してこの「人身御供」的苦行を受けるわけにはゆかぬ。身を挺して新「ガイドライン」を粉砕しなければならん。
「戦争法案ハンターイ!」宣伝カーで訴え茨城中央農民組合「戦争法をやめさせるためにとにかく宣伝しよう」と茨城中央農民組合は五月十二日に宣伝行動を行いました。当日、宣伝カーで集落を回り、訴えていると聞きつけた組合員も午後からの行動に参加しました。茨城県連は一時間でも二時間でも全単組、県下全地域で宣伝をしようと呼びかけたところ、県南農民組合(十七日〜十九日)や県西農民センター(十七日〜十八日)、鹿行農民組合が取り組んでいます。 県連は、「ダンゴ三兄弟」をテーマにしたマンガのチラシを作成した配布し、署名活動を進めています。 (茨城県連 飛田元雄)
(新聞「農民」1999.5.24付)
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[1999年5月]
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