東日本大震災・原発事故から13年
原発に反対する農家の思い
福島から愛媛県松前(まさき)町に避難している
渡部寛志さん(福島県農民連)
東日本大震災・福島第一原発事故から13年。今年は能登半島地震も経験し、全国各地で原発とたたかっている人たちはどんな思いで13年目を迎えたのか。事故後に愛媛に避難した渡部寛志さん(福島県農民連会員)に今の思いを寄稿してもらいました。
原発リスクから
解放された社会の実現を
能登半島地震は他人事とは思えませんでした。居ても立ってもいられず、2月4日に愛媛県内の農家から集めた500キロのかんきつを石川県七尾市と輪島市に届け、現地の悲惨な状況を見て聞いて知りました。
そして2月24日に愛媛の皆さんとともに1000キロのかんきつ類を届け、あわせて輪島市内の福祉避難所で炊き出しを行いました。家屋は崩れたまま、道路も崩れ、ひび割れデコボコ、各所に土砂崩れが見られます。行政はインフラ復旧を急いでいますが、平地の少ない能登半島では仮設住宅の用地確保も難しく、地域全体の復旧・復興は全く先が見えない状況です。
もし、志賀原子力発電所で福島のような原発事故が起こっていたらと想像すると、ゾッとします。復旧・復興どころの話ではありません。「人々の町、人々の人生」は一瞬で壊滅的状況に追い込まれ、消滅集落ばかりの地域になってしまったでしょう。原子力災害に至らなかった要因、それは単なる偶然です。震源が直下だったら、原発が稼働中だったら、どうなっていたかわかりません。原発回帰してしまった日本。13年前、私たちは「絶対安全はうそであり、原発は危険である」と認識したはずなのに。13年前の原発事故、その生の記憶がない若者たちが社会に出つつあります。
私たちおとなは、彼ら彼女らに胸を張れるでしょうか。「福島で起きた惨事は過去の出来事、教訓として生かし2度と繰り返させぬ社会に変えた」と言えるでしょうか。原発のリスクから解放された社会をつくるため、いま一度考え直すときです。
(新聞「農民」2024.3.11付)
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