明治乳業争議
働く者の尊厳と誇りを
全面解決へ
争議団と支援共闘会議が決起集会
「争議団は明治乳業の商品を愛している。会社はこれ以上、仲間たちを苦しめないでほしい」
5月10日に「明治乳業争議 労働組合つぶし・賃金差別許さない5・10総決起集会」が都内で開かれ、原告や弁護団、支援共闘会議をはじめ多くの支援者が参加しました。
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団結頑張ろうをする参加者の皆さん(前列右が小関団長、その左が笹渡副会長) |
1960年代後半、当時の明治乳業は全国8000人の生産体制から「生産効率5倍化」に向けて一気に2000人の削減を進めました。全国の事業所の従業員が「働きやすい・人間らしい職場を」と民主的な労働組合活動を展開。それに対し会社は労働運動の破壊と組合潰しを行い、更に組合活動家への賃金や仕事差別などの不当労働行為を定年退職に至るまで繰り返してきました。現在、第3次の審査が東京都労働委員会(都労委)で進められようとしています。
弁護団事務局長の金井克仁弁護士は「第1次と第2次では、労働委員会による不当審査の強行で、単年度分の不当労働行為があったかどうかを判断するという矮小(わいしょう)化により負けてしまった。この第3次は、都労委に残留している全39事件の申し立てを一括で審査させることで、10年・15年という期間の中で賃金差別が行われてきたことを認めさせるたたかいだ」と述べました。
団長「集大成としてたたかう」
明乳争議支援共闘会議の松本悟議長は「争議を解決させない企業は疲弊する。食の安全、人権を守るまっとうな企業になってほしい」と発言し、「明乳は2000年以降だけでも、食品事故や死亡事故、労働争議が相次ぎ、株価は4割下落し酪農家からは悲鳴が上がっている」と告発。
農民連本部から笹渡義夫副会長が登壇し「争議団とは現在の酪農・畜産危機の運動に限らず、2000年の雪印食中毒事件や2008年のリーマンショック時など、食の安全と争議勝利を結んで一緒にたたかってきた。私たちのたたかいと争議勝利の根はひとつ」と連帯を表明しました。
争議団団長の小関守さんは「無念の思いを残して亡くなった団員、今も病床にある団員の思いも胸に、この第3次のたたかいを集大成とする決意で奮闘していく」と力強く語りました。
(新聞「農民」2023.5.29付)
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