「農民」記事データベース20220905-1519-16

旬の味


 祖母は終戦の日が来ると「戦争で何も生まれない、若者が死んだり負傷するだけだ」と言っていた。熊本県遺族連合会が先の戦争で亡くなられた県内の1万数百人の遺影、戦病死年齢を掲載・刊行している▼餓死者の約85%が20歳代の農業に従事する青年で私の叔父もその1人。叔父は兄(私の父)と農業に従事していたが、1940年に21歳で出征、42年末に「辞世」の手紙が両親に届いていた。44年3月7日、25歳で戦死の公報が1枚届き、遺骨は返ってこなかった。父は21歳のとき日中戦争で負傷。不自由な身体で農業で生き抜いた▼祖母は、「覚悟はしていたが、戦争で1人は死なせ、1人は不自由な体に。家族で農業をしていたとき、決して裕福ではなかったが、皆で力を合わせて働くことは幸せだった。戦争がすべてを奪ってしまった。二度と戦争はしてはならない」と言っていた▼祖父は叔父の分家の意味で納骨堂を建立。戦争できる国へ舵(かじ)を切った安倍政権、それを引き継ぐ岸田首相。祖母が生きていたら…。

(よ)

(新聞「農民」2022.9.5付)
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2022年9月

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