牛を愛し、自らの人生を愛(いと)おしく
生き切った農民連顧問・元会長
佐々木健三さんに捧ぐ
福島県農民連会長・農民連副会長 根本 敬
農民連元会長の佐々木健三さん(農民連顧問)が3月13日に逝去されました(81歳)。農民連副会長の根本敬さん(福島県農民連会長)による弔辞(一部補筆、加筆)を紹介します。
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世界貿易機関(WTO)設立協定等に関する地方公聴会(1994年11月28日、福島市)。
佐々木健三さんは、自民党の中川昭一座長を見据え、こう訴えた。
「環境破壊は今や地球規模で進んで、経済万能では解決がつかないというのが現状であります。世界の国々が自国の自然を守り、食糧の自給を保つことこそ最大の国際貢献だと思います。早晩、ガット合意、WTO体制は必ず破たんせざるをえないと思います。
私たちは、農業を地域経済の軸に位置づけ、工業と商業のバランスのとれた発展を目指して、この豊かな日本、福島の自然を次の世代を担う子どもたちにしっかりと渡すために全力を尽くしたいと思います」
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2002年4月4日、東京・日本青年館大ホール。
2000人の怒り、そして希望に満ちていた。
「BSE緊急措置法の早期成立をめざす国民集会」。4党のあいさつに続いて佐々木健三さんが、北海道猿払村のBSE発生農家の父親から農民連に寄せられた手紙を読む。
「口のきけない牛を、さも汚いもののように殺された飼い主の気持ちを考えたことがありますか。よくもよくも、私たちの大切な生活の糧である牛たちを。1日、2日で築き上げたのではありません。3代前の亡き父母の汗と涙と知恵とで、今日があります。
私たちは、愛する牛、かわいい孫、大切な心の宝を、みんな国の横着な仕打ちによって失いました。泣き寝入りするしかないのでは、気が狂ってしまいます。62頭の牛の代金も8割しかもらっていません。こんなことは絶対に許すことはできません」
最後に、佐々木健三さんはこう締めくくった。
「一人の農民を救えない国が、どうして日本農業を守ることができるか」
集会の後、小沢一郎氏(当時、自由党党首)が志位和夫氏(日本共産党委員長)にこう語った。
「あの農民の訴えは素晴らしかった」
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佐々木健三さんをいつものように訪ねる。
佐々木健三さんがドリップでコーヒーを淹(い)れる。
日程表のホワイトボードに佐々木健三さんの柔らかい文字でメモが書いてある。
智子さん(妻)が初乳のチーズを「これ持ってって」と、新聞紙の包みをテーブルにおく。そしてせわしなく野良にでてゆく。
八郎さん(父)が、ささき牧場の軽トラックで牛乳配達にでかける。
サロペットの光洋さん(長男)が湯気たちのぼる牛舎で一頭一頭の牛の世話をする。
裕子さん(光洋さんの妻)が工場で牛乳瓶のこすり合わさる音の中、瓶詰め作業をこなす。
みんな一人ひとり自分の持ち場で生きている。
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佐々木健三さん(後列左)、裕子さん(同中央)、智子さん(後列右)、八郎さん(中列右)、健三さんの母の君江さん(その左)、光洋さん(前列右) |
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そして、幾年かがたち、佐々木健三さんが腰を九の字に曲げて歩いてくる。
そして、語り始める。地域のこと農業政策のことを。
その話す姿をじっとみる。佐々木健三さんは、自分の「人生」を本当に愛おしいものとして生きている。
たぶん、今もその意思を抱いて旅立ったと思う。
佐々木健三さん、安らかにお休みください。
ありがとうございました。
(新聞「農民」2022.4.11付)
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