諫早湾干拓問題
締め切りから今年で25年
豊饒(じょう)の海はいまだ戻らず
(下)
NPO法人21世紀の水産を考える会
中山眞理子
漁業、農業、地域の対立を超えて
開門による「宝の海」の再生へ
長崎県の国営諫早湾干拓事業を巡り、潮受け堤防排水門の開門を強制しないよう国が求めた福岡高裁請求異議差し戻しの審議が、昨年12月1日、結審しました。判決は今年3月25日です。この裁判の経過を振り返ります。
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諫早湾の干上がった干潟に立つ市民運動の人々が立てた旗(写真=中尾勘悟さん) |
裁判のはじまり
諫早湾の潮受け堤防が締め切られたのは1997年4月。2000年12月から翌年1月にかけて、諫早湾から有明海の広域にわたって発生した赤潮により、ノリの色落ちや、高級二枚貝タイラギの大量死滅など、「有明海異変」と呼ばれる甚大な漁業被害が表面化しました。これに抗議した有明海沿岸の漁業者たちが2002年11月、国を相手取り、工事中止などを求めて佐賀地裁に提訴したのが今日まで続く長い法廷闘争の始まりです。
2010年12月、福岡高裁が「5年にわたる常時開門(3年の猶予)」を命じ、当時民主党政権の菅直人首相の判断で国は上告を断念。国の開門義務が確定しました。
ところが、2012年に自民党が政権を奪還すると、国は政策を転換。判決の履行期限の13年12月を迎えても国は確定判決に従わず、開門しませんでした。
漁業権は10年で消滅?
国は、「当時とは有明海の環境などの事情が変わった」と主張して、確定判決の執行力をなくすよう求める請求異議訴訟を起こしました。14年1月のことです。
これは佐賀地裁が棄却しましたが、18年7月の福岡高裁では国が逆転勝訴したのです。理由は「漁業権は10年間で消滅し、新たに設定された漁業権で漁業をしているとしても、開門請求の基礎となった漁業権は、開門履行期到来前の13年8月末で消滅している」というものでした。
最高裁は「漁業権は継続」と高裁に差し戻し
19年9月、最高裁は、「漁業権は更新後も継続している」として「是認できない」と指摘。福岡高裁に差し戻しました。そして、2020年2月に始まったのが請求異議差し戻し審です。
この訴訟以外にも、これまで諫早湾干拓事業を巡る訴訟については、開門請求訴訟、開門差し止め訴訟など多くの訴訟が提起されてきました。国や県、漁業者、営農者らの利害が絡み合い、複雑で深刻な状況が続いています。
「和解協議に関する考え方」
21年4月、福岡高裁は「和解協議に関する考え方」を発表しました。
そこでは、次のように指摘しています。
「本件紛争に関連する各種紛争の状況および有明海沿岸地域の社会的・経済的現状等にかんがみると、狭く本件訴訟のみの解決に限らない、広い意味での紛争全体の、統一的・総合的・抜本的解決及び将来に向けての確固とした方策を検討し、その可能性を探るべきである」
「本件の判決だけでは、抜本的解決には寄与することはできず、話し合いによる解決の外に方法はない」
さらに国に対しても、「控訴人(国)のこれまで以上の尽力が不可欠であり、本和解協議において、主体的かつ積極的な関与を強く期待する」と、今日の事態を招いた国の役割にも言及しています。
反響は大きく、福岡高裁への支持表明、和解協議に応ずるよう農水省への要望、要請などが全国から寄せられました。農民連も農水大臣あてに要請書を送っています。
この「考え方」に対し、国は「開門によらない和解が最上の方法であり、開門の余地を残す和解協議の席に着くことはできない」と回答するのみで、意見の隔たりは埋まらず、協議は打ち切られました。
真の解決をめざして
昨年12月に漁業の現状を語ったノリ養殖業、大鋸武弘さんの苦痛に満ちた表情は、まさに今の有明海の漁業の実態そのものを表していると思います。そして、平方宣清さんは1970年の長崎県南部地域総合開発事業計画の頃から、一貫して干拓反対運動の最前線に立ってきた方です。その平方さんから「あきらめないで良かった!」という言葉を早く聞きたいと、切に思います。
(おわり)
(新聞「農民」2022.2.28付)
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