「農民」記事データベース20210607-1459-10

旬の味


 母は、「自給できる食べものは、自分でつくる」考えの人だった。1919年に農家に生まれ、21歳のとき、日中戦争で左足を負傷し、不自由な身体で農業従事の3歳年上の青年(父)と結婚、いとこの関係にあった▼母は実家で農業の経験があり、身体の不自由な青年と、今後の農業生活を考え、結婚に迷いはなかったのか、話したことはなかった。当時、米とミカンを栽培し、収穫後に年末から2月下旬まで、母は卸売市場まで2・5キロの道のりを、リヤカーでミカンを運んでいた▼夫と同年配の人が車を購入し始めると、母は高校生の私に運転免許を取るように催促した。67年に私が免許を取り、母はリヤカーでの運送から解放された▼私が結婚して子どもが生まれると、孫の見守り、保育園の送り迎えの合間の時間に、寸暇を惜しんで、空いている畑や、ミカン畑の隅に、小麦(製粉してうどんに)、ナタネ(製油)、コンニャク芋、ごま、さやえんどう豆、野菜等を栽培した。私たちに食べさせることが母の生きがいだった。

(よ)

(新聞「農民」2021.6.7付)
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2021年6月

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