「農民」記事データベース20210503-1455-08

東日本大震災 福島原発事故

あの日から10年

〈手記〉
樽川(たるかわ)和也さん
福島・須賀川農民連

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父を奪い、農地を汚染した福島原発事故
それでもこの地で農を受け継ぎ、生きていく

 原発反対した父の心配が現実に

 「農業、継がせなかったらよかったな」

 2011年3月23日、出荷停止のファクスが届いた夜の言葉が最期だった。父は翌朝、自死していた。私はその言葉と、当時の光景が、10年たった今も忘れられない。震度6強の揺れで福島県須賀川市の自宅、納屋、倉庫の全ての屋根瓦が落ち、自宅は1階まで屋根に穴が開き、その片づけに追われる極限状態のなか届いた出荷停止のファクスだった。

 3月12日、東京電力福島第一原発1号機の建屋が水素爆発する映像をテレビで見た父。「俺が言ってたとおりになったべ。人間が造った物は、必ず壊れる時がくる。自然の力には敵(かな)わねぇんだ」

 父は30年ほど前、広島の原水爆禁止世界大会に参加したころから、「新潟の原発が爆発したらここらへんも住めなくなるだろう」と言っていました。原子力や放射能の恐ろしさを私も小さいころから聞かされていました。福島の原発が爆発し、それは現実となりました。

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原告となった「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の高裁判決で勝訴の旗を掲げる樽川さん(右端)

 耕転禁止出ても除染なく解除に

 震災当時、畑には7500株のキャベツと1000株ほどのブロッコリーがあり、「そろそろ出荷を始めようか」と言っていた矢先の出来事でした。

 堆肥を施した畑で、化学肥料を控えめにし、消毒もなしで栽培したキャベツは、直売所でも毎日完売でした。須賀川市の学校給食には父が栽培したキャベツが使われ、父は「こういう安全でうまいものを子ども達に食わせることは、いいぞっ」と言って、誇らしげでした。学校給食の時間には食の教育で呼ばれたこともありました。

 当時は、田んぼ4ヘクタール、露地栽培のキュウリ1500株、冬から春にはキャベツを栽培していました。出荷停止のファクスが届いたのは結球野菜でした。野菜に放射能が付着しているということは、大地(土)にも降り注いだということです。

 父は1センチの良い土を作るのに100年かかると言っていました。先祖代々受け継いでいくことが大事なのです。それが放射能で汚染された。農業者にとって農地を汚染されるのは、職場を奪われるようなものです。あの時の福島の農家は皆、この先どうやって生業をたてるか、途方に暮れたことでしょう。

 さらに3月下旬になって、追い打ちをかけるように「田んぼや畑を耕さないように」との農地の耕転禁止通知が出され、4月15日頃まで農作業ができませんでした。例年より2週間ほど遅れて稲の種まきの準備を始めましたが、放射能も取り除いていないのに耕転禁止が解除され、農家はいっせいに田んぼや畑を耕し始めました。

 私は、「ひとたび表土をすきこんでしまったら、今後、地表面の放射能を取り除くこともできなくなるのではなかろうか。これで秋に収穫した作物から放射能が検出されたら、1年間、何のために作業したのかわからないなぁ」と非常に不安に思いながら、作業をしていました。

安全安心なもの作りに
誇りを持っていた父

 父の作業日誌を頼りに母と二人

 父を失って、私と母の二人で作業をしましたが、社長を失って作業員二人の状態になり、肥料の量や農薬、何を作付ければよいか、さらに放射能対策など、わからないことが山積みでした。父の作業日誌には、毎日の作業内容、天候などが細かく書かれていたので、父のノートを見ながら、昨年の今日は何をしたのか、田んぼごとの肥料の量や、苗箱を何箱使ったのかなどがわかり、大切な説明書となりました。

 父はあまり口で教えることはありませんでした。「自分でやって覚えろ」「人がやっているのを見て覚えろ」という性格で、厳しい人でした。「農業は一人前になるのに10年はかかる」とも言われていました。

 原発事故からの1年間は、必死でした。父が死んだから、何もできないと思われるのが一番、いやだったから。

継いだことに後悔はないと伝えたい

 おいしかった!の声を支えに

 現在、田んぼは、放射性物質吸着材のゼオライトをまき、深耕して、取り除いたわけではないのに「除染完了」とされています。

 野菜は、汚染されていないビニールハウスでも栽培を始め、これが功を奏して、露地ものがない時期にも出荷できるので、収入も上がっています。その中でもトウモロコシは直売所でもお客さんから「おいしいねぇ」「何回も買って食べています」などと言われることも多く、こうした会話から感じられるやりがいが、支えになっています。

 やっと父の農業のあり方に近づけたような気がします。「継がせなねげればよがった」――そんなことはありません。継いだことに後悔などあろうはずがありません。

 天国のあなたに、そう伝えたいです。


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岡山・岡山市 和(ペンネーム)

(新聞「農民」2021.5.3付)
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2021年5月

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