旬の味
戦没者の遺骨の混じった土砂を辺野古の埋め立てに使うなとハンガーストライキを終えた具志堅隆松さんが私の集落を訪れた。那覇市出身で沖縄戦当時11歳、今87歳の宮城定吉さんが弟の遺骨を探すのに同行していた▼宮城さんは1945年6月23日、砲弾の音がやんだので糸満市真栄平の防空壕を出て、畑や泉の側の道を通り、新垣集落を通って与座岳の開けた所まで登って来た▼そこでは米兵が水や角砂糖を配っていた。米兵が来ておんぶしていた弟を見て首を振ったので弟が死んだことがわかった。大きな岩の側に寝かせて弾にあったって亡くなったアンマー(お母さん)の所に行きなさいと別れを告げた。妹とトラックで収容所に連れて行かれ、孤児院に入れられた▼私は戦後この集落だけで1万柱の遺骨を村人が収骨したことを話した後、大きな岩を探すため道案内をした。しかし土地改良で畑に造成されて見つからない。宮城さんは「弟の眠る土を辺野古に持って行ってはならない」と言ってこの地を後にした。 (牧)
(新聞「農民」2021.4.5付)
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[2021年4月]
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