「農民」記事データベース20201221-1438-11

国立歴史民俗博物館
特別企画展

『性差(ジェンダー)の日本史』を見て

千葉県農民連事務局次長 谷川聡子さん

 東総農民センターの女性部は11月20日、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開催されている企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』(12月6日まで)を見学しました。展示を見学した千葉県連事務局の谷川聡子さんの手記を紹介します。


歴史の中で変化したジェンダー

画像  「ジェンダー」あるいは「ジェンダー平等」という言葉がよく使われるようになりました。ジェンダー(性差)とは社会的・文化的に“つくられる”性別のこと。男性と女性の役割によって生まれる性別のことです。たとえば、「家事は女性がやるもの」、「男性は強くなくては」…などなど。いったいいつからジェンダーはあるのでしょうか?

 歴史の「歴」という文字は、屋内に稲を運び込み、並べる様子から物事の事実をあらわし、「史」は記録することをあらわすそうです。「歴」として存在しながら「史」には記録されない多くの女性に焦点をあてています。

 古代では女性の首長が3〜5割

 展示は古墳時代でお馴染みの人型や馬型の埴輪が並ぶ古代から始まります。古代政治で女性として思い浮かぶのは「女王卑弥呼」ではないでしょうか。古代では政治集会や村の集会に男女の区別なく参加していました。

 前方後円墳の時代には女性首長が3〜5割も存在したことがわかっています。卑弥呼は特別な存在ではなかったのです。女性首長の墓からは男性首長と比べて、副葬品に武器が少ないのも特徴です。その後、軍事的緊張が高まる中、女性首長の割合は急速に減少します。

 この時代の農業では、田植えは男女混合で行われていました。まだ性別での分業はしていなかったようです。その後、田植えは女性の労働の比率が高まり、「早乙女」の原型が生まれ始めます。農業経営でも徴税簿には男性名が登記されるようになり、男性中心の経営に変わっていくのがわかります。

 幕藩体制では男性が政治を行う「表向き」と、女性の勤務の場となる「奥向き」と、建物の構造も男女を分け隔てるものへと変わっていきます。幕府が倒され、明治政府になると、奥向きの解体により、それまで一定の政治的役割を果たしてきた女性も政治の場から「排除」されます。

 しかしそれでも明治初期に行われた司法省の調査『民事慣例類集』の中には「婦女人に嫁するも…生家の氏を用ふへきもの」とあり、夫婦は別姓で、妻は生家の氏を名乗ることが示されています。つまり妻が夫の氏を名乗ることが強制されるようになったのはじつは最近のことで、明治中期に制定された明治民法の規定によるものでした。

 ジェンダー平等は人権確保の前提

 国連の持続可能な開発目標(SDGs)でも「ジェンダー平等はあらゆる人権を確保するための前提条件であり、すべてのSDGsを達成するために不可欠の手段である」と認められています。

 日本だけでなく世界的にも、まだまだ課題の多いジェンダー問題。「それは、おかしいよ」と指摘するのは難しいこともありますが、黙ったままや笑ってごまかしては、認めたことになってしまいます。お互いに言い合える雰囲気を作っていくことが大切です。

(新聞「農民」2020.12.21付)
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2020年12月

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