作家
旭爪(ひのつめ)あかねさんとの思い出
農作業体験を指導
小説のアドバイスも
千葉・光町農民組合
土屋喜信さん(横芝光町)
作家の旭爪あかねさんが11月8日に53歳で逝去しました。旭爪さんが生前、親交のあった千葉県の光町農民組合会員の土屋喜信さん(横芝光町)に追悼文を寄稿してもらいました。
鋭い観察力とみずみずしい感性の持ち主
1993年の大冷害によりタイ米を輸入するという事態が起こりました。千葉県農民連青年部の仲間の集まりの中で、お米のことをもっと多くの人に知ってもらおうということになり、翌年春の種まきから収穫までの作業を体験してもらう企画を組みました。
この取り組みに参加した一人が、旭爪あかねさんでした。それが旭爪さんとの初めての出会いでした。
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旭爪あかねさん(右)。隣は、映画「アンダンテ〜稲の旋律〜」の主演女優、新妻聖子さん |
稲作体験は1年で終わったのですが、その後も、「もっと農業の勉強をしたい」と、年に何回かわが家に来るようになりました。
後で聞いたことですが、この頃が本人にとって、引きこもり状態の一番ひどいときだった、とのことです。しかし、農作業をするのは楽しく、毎回、楽しみにしていた、とのことです。
そうしているうちに、「新聞の連載小説を書きませんか」との依頼を受け、自身の体験した、引きこもりと農業の置かれている現実をテーマにして小説を書きたいと始まったのが「稲の旋律」でした。
2、3日分の原稿を書き上げると、私のところへ送ってくれ、それを私が見て、「ここはこうした方がよいのではないか」とか、「この作業はこちらの作業の前にするものだ」といったアドバイスを送り返したことが昨日のことのように思い出されます。
まだ、引きこもりということが、社会に広く認知されていない頃でもあり、旭爪さんのみずみずしい感性によって大きな反響を呼ぶことになりました。「稲の旋律」は、その後の映画化により、全国へと広がっていきました。
旭爪さんは思慮深く、多くのことを語る方ではありませんでしたが、鋭い観察力で、「その仕事は何のためにやるのですか、それをすることによって、何がどう変わるのですか」といった質問をされたことを覚えています。
その後も、農業について取り上げた小説を書かれて活躍されておりました。病気になられてからは、思うように筆も取れず、歯がゆい思いをされていたことでしょう。もっともっと多くの小説を書いていただきたかったのに残念でなりません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(新聞「農民」2020.12.21付)
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