農民連顧問
重富健一先生を偲んで
埼玉農民連副会長
農民連顧問 松本愼一
農業・食料の重要性をわかりやすく
指導してくれた農民連の生みの親
重富健一先生と私たちとの最初の出会いは、「農民運動の全国センターを考える懇談会」(農民懇)発足(1984年)に先立つ1980年の「農民運動全国研究・交流集会」に講師として特別報告をしていただいたときでした。
それ以来、農民懇結成から89年の農民連結成に至るまでは世話人として、以後は顧問として、自民党政府・財界による日本農業破壊宣言である「日米諮問委員会報告」「前川リポート」「経済構造調整推進要綱」などを鋭く批判し、多くの農民を理論的にわかりやすい言葉で励ましてくれました。
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小林節夫さんの思い出を語る重富健一さん=2016年12月6日 |
農民懇の結成と創生を支える
特筆することは農民懇の結成とその創生を支えていただいたことです。
84年5月16日に東京・家の光会館で全国44都道府県、192名の参加者を前に「この20年余りの農業・農村をめぐる情勢の大きな変化のなかで、広範な農民の参加による農業危機打開を目指す農民運動全国懇の結成は、まったく新しい情勢と道理にかなった必然的なもの。確信をもって自由で創造的な運動を探求し、大きな可能性を切り開こう」などと格調高く基調報告しています。
そのほか農民懇が結成して間もない時期にもかかわらず、「今こそ米政策の抜本的転換を」「アフリカなどの飢餓救援に関する我々の提案」など1年の間に6つもの政策提言をしていますが、いずれも重富先生が深く関わったものでした。
私たちとの付き合いの中で、先生の人柄は、政治課題では舌鋒鋭いものの、普段は温和で優しい学者だと思っていました。しかし、聞くところによれば、先生は終戦直後に、東京都上野中学校(現都立上野高校)の生物の教師として赴任したときのあいさつで、あまりに「熱と若さ」を強調するので、「熱と若さ先生」がニックネームだったとのこと。その後、東洋大学の学生からは尊敬とともに「むかっぱらのシゲケンと恐れられていた」との一面もあったそうです。
私ごとになりますが、十数年前の地元の、町長選挙に立候補した際、多忙ななか熱弁を振るっていただいたことは忘れられない思い出です。
最後に、先生の生涯をかけた農民運動、農業経済学への献身は関係者の心に永く生き続けることと思います。
(新聞「農民」2020.11.30付)
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