東京農民連
生産緑地の指定基準見直し
粘り強い働きかけで勝ち取る
東京都清瀬市の生産緑地の指定基準を東京農民連が市・都へ働きかけ、見直しさせました。
30年間も過重負担していた農民
正当な評価で税が大きく低減
宅地並み課税で年間35万円納付
清瀬市の町田伍兆さん(81)は30年前に市に農地を買収された際、農地のはずの代替の土地を農業用資材置き場として使う「宅地等介在農地」にされました。
町田さんは何度も市に見直しを申し入れましたが、いっこうに聞き入れられず、宅地並みの年間約35万円、30年間で約1000万円の固定資産税を納付してきました。
町田さんは仕事を定年退職後、固定資産税の負担が重くのしかかることになり、地域に新聞「農民」の見本紙を配布していた東京農民連の武山健二郎副会長に相談。東京農民連としても支援をはじめました。
東京農民連は武藤昭夫事務局長が市議らともに働きかけ、町田さんと一緒に嘆願書を市長に提出。東京都に対しても、指定基準の見直しをしていた東久留米市の例を挙げて、清瀬市の生産緑地指定基準の見直しを要請しました。
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生産緑地に指定されることになった農地。左は武山さん、右が町田さん |
市議も党派超え共同で取り組む
またこの間、東京農民連の小寺理一会長も農地の一部が宅地並み課税になっており、18年11月にJA東京みらい農協清瀬支店を通じて生産緑地の追加指定を申請。
19年9月には東京農民連が、清瀬支店に指定基準見直しに積極的に取り組むことと、体験農園への協力を要請しました。
市議会では共産党の清瀬市議団のほか、地元農家の自民党推薦市議も協力。議会で共同して取り上げました。
おりしも15年に都市農業振興基本法が成立し、16年には都市農業振興基本計画が閣議決定され、都市農地の位置付けが変わりました(詳しくは下に掲載)。
見直しで追加の指定が可能に
当初清瀬市は消極的な姿勢でしたが、東京都農業会議が指定基準の見直しを求め、清瀬市農政推進協議会も見直しを求める意見書を市に提出。9月議会でも見直しが取り上げられ、ようやく市が動きました。
10月に市の広報で見直しを発表。これまで生産緑地に指定できない農地等とされていたところでも、「ただし現に再び農業の供されている農地であって相当期間にわたって農業経営等の継続が見込まれるものは除く」と明記され、追加の指定が可能となりました。
農民の生活守るのは農民連しかない
清瀬市に支部を確立させたい
町田さんは農業委員会の視察を受け、12月4日に地目変更手続きの書類を提出しました。「固定資産税の負担が軽くなり、本当に助かります。基準を変えさせてまで農民の生活と農業の存続を守るのは農民連しかありません」と町田さん。
今回の取り組みで自民党推薦の議員とも要求で一致し運動を進めることができたのは大きな財産です。また、小寺農園の体験農園の実績も見直しの力になりました。
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見直しに奮闘した町田さん(前列右)と東京農民連の小寺さん(前列左)、武山さん(後列左)、武藤さん(後列右) |
今後は第3次清瀬市農業振興プランの実施を迫るなど、農業振興策の実施を求めることにしています。「そのためにも、農民連の存在をアピールし、清瀬に支部を確立させたい」と武山副会長は意気込んでいます。
都市農地をめぐる推移
これまで都市近郊の農地は「宅地化すべき土地」とし、市街化区域内の農地は固定資産税や相続税が宅地並みに評価され、農家の税負担は過大なものでした。
長年の運動によって1991年、30年間営農を続けることを条件に生産緑地の指定を受けると、固定資産税の農地並みへの引き下げや相続税の納税猶予が受けられるようになりましたが、生産緑地の指定には自治体が一定の要件を課すなど、都市農地をめぐる状況は厳しいものがありました。
その中でも農民連は、指定基準の見直しを求めて運動を続けてきました。
流れが変わって来たのが1999年です。食料・農業・農村基本法は、都市農業について「消費地に近い特性を生かし、都市住民の需要に即した農業生産の振興を図るために必要な施策を講ずるものとする」と明記。初めて都市農業の振興がうたわれました。
そして2015年に成立した都市農業振興基本法では、都市近郊の農地を「都市農業の安定的継続を図ることで良好な都市環境の形成に資するもの」と評価。必要な法制上、財政上、税制上、金融上の措置をとることを求めました。
さらに16年に閣議決定された都市農業振興基本計画では、税制上の措置として「保全すべき農地の資産価値や農業収入に見合った保有コストの低減」を求め、「将来にわたって保全すべき相当規模の農地については、市街化調整区域への編入の検討」を講ずべきとしました。
都市農業に新しい風が吹こうとしています。
(新聞「農民」2020.3.2付)
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