歴史の負の遺産を記憶にとどめる
英リバプール・国際奴隷博物館を訪ねて
イギリス西海岸の港町、リバプール。かつての「世界の工場」・大英帝国の栄光をしのばせる都市ですが、一方で、奴隷貿易という負の遺産を歴史の記憶にとどめています。リバプールにある国際奴隷博物館とそのゆかりの地を訪ねました。
(新聞「農民」編集長 勝又真史)
資本主義の発展を担った奴隷貿易の町
今は歴史学び、自由と平等求める町へ
ビートルズとサッカーの街
リバプールは、世界的な音楽グループ、ビートルズの出身地、そしてサッカーで有名な都市です。最近では、イングランド・プレミアリーグの強豪、リバプールFCに日本代表の南野拓実選手が入団するなど、日本でも注目を集めています。
リバプールは18世紀以降、海運業で大英帝国繁栄の原動力となり、資本主義の発展、産業革命の一端を担いました。第2次世界大戦後、街には失業者があふれ、活気が失われていきましたが、最近では、港湾地区が世界遺産に登録され、欧州文化都市に指定されるなど観光・文化の街として再生しています。
港湾地区にあるマージーサイド海洋博物館は、かつての栄光の象徴である艦船の模型や歴史をとどめたパネルが展示されています。海洋博物館の3階1フロアを使って設けられているのが国際奴隷博物館。大英帝国発展の基礎には、奴隷貿易があり、負の歴史を記録しようと設立されました。
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港湾地区に建っているビートルズの銅像。背景には大英帝国の栄光をしのばせる建物が… |
富と繁栄の背景 奴隷貿易が担う
奴隷貿易とは、18世紀にヨーロッパから西アフリカに艦船を送り込み、先住民を奴隷にしてアメリカ大陸や西インド諸島に移送。アメリカ大陸などから砂糖、コーヒー、タバコ、綿花などをヨーロッパに持ち帰るという三角貿易で成り立っていました。これらの輸送品は、アメリカ大陸に連れてこられたアフリカ先住民が、大農場(プランテーション)の中で、奴隷労働として搾取されながら産み出されたものです。
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国際奴隷博物館で展示物に見入る観覧者 |
リバプールは、重要な奴隷運搬船の出撃港で、1700年から1807年の間に、150万人ものアフリカの人々をアメリカ大陸に運びました。
博物館のなかには、奴隷貿易によってもたらされた富や利益を告発するコーナーがあり、その一つが銀行です。
リバプールの市庁舎に隣接するマーチン銀行を訪ねると、建物入り口の側壁には、奴隷を酷使して成り上がったことを誇示するかのような彫刻が目に入ります。
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奴隷貿易を誇示する彫刻があるマーチン銀行の入り口 |
ビートルズの曲 奴隷商人に由来
「ペニー・レインの光景は今でも僕の耳と目に焼き付いている。郊外の青い空の下で、腰を下ろして思い出している」
ビートルが1967年に発表した軽快なメロディーの曲「ペニー・レイン」の歌詞です。
ペニー・レインは、リバプール中心部からバスで30分ほどの郊外にある通りとその界隈の名称です。ビートルズのメンバーにとってかつてはその通りを通学に使うなど、思い出の場所。歌詞にでてくる、お気に入りの髪型の写真を展示している床屋もそこに実在しています。
国際奴隷博物館には、貿易で富を築いた奴隷商人の名も示され、その中の一人、ジェームズ・ペニー(1741〜1799)は奴隷船の所有者でもありました。彼の名をとってつけられた通りが「ペニー・レイン」。ビートルズで有名になった「ペニー・レイン」の名の由来がまさに奴隷貿易と関係していたのです。
リバプールには、奴隷貿易にちなんだ通りや地域の名称が各所に点在しています。
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ビートルズの歌で有名な「ペニー・レイン」 |
差別と偏見ない社会をめざして
博物館の最後のコーナーには、奴隷制度や人種差別に反対し、自由と平等を求める新たな取り組みが世界各地で始まっていることを紹介しています。
さらに「人種差別、不平等、奴隷制度は答えではない。誰もが安全・安心の環境の下で生きる権利がある」「あなたの人生、あなたの決定は自由であるべきだ」など、参観者の感想のメモが張り出されています。
リバプールも、奴隷貿易という暗い過去を記憶にとどめつつ、差別も偏見もない社会づくりに向けて、新たな一歩を踏み出しています。
(新聞「農民」2020.1.27付)
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