農民連顧問・元事務局長
谷口一夫さんの思い出
埼玉農民連副会長 松本愼一
農民連顧問の谷口一夫さんが去る6月15日に逝去されました。75歳でした。生前から親交が深かった埼玉農民連の松本愼一副会長に谷口さんとの思い出を振り返ってもらいました。
|
谷口さん(後列左から2人目)と小林さん(その前) |
1972年の第1次オイルショックの際に、農民から「業者とのトラクター売買契約が破棄されようとしている。このままでは農作業ができない」などの要求が出され、農民の全国組織がないなか、どうしていいのか困っていました。
そのとき、日本共産党国会議員団が「便乗値上げや契約破棄は許されない」と政府に農民要求の実現を迫っていました。
私達、関東の仲間は互いに連絡を取り合い、国会に要請に行った先が日本共産党の中川利三郎衆議院議員の事務所でした。その中川さんと一緒に対応してくれたのが、秘書をしていた谷口さんで、それが初めての出会いでした。
たいへん印象深いのは、谷口さんが企業や農水省との対応で、実に粘り強く、理詰めで交渉してくれ、相手が根をあげるまでがんばってくれたことです。そのことがきっかけになって、その後の肥料・農薬の便乗値上げをやめさせ、トラクターなどの農業機械をほぼ契約通り農民に引き渡させるうえで、きわめて重要な役割を果たしたのです。
農民連結成後の初代事務局長に
谷口さんは1984年、結成されたばかりの「農民運動の全国センターを考える懇談会」(農民懇)の初代専従に就任し、故小林節夫さん(農民連初代代表常任委員)とともに、1989年の農民連結成に貢献されました。また、結成された農民連の初代事務局長として草創期の農民連の発展に尽力され、2001年1月までの12年間の長きにわたって務められました。
農民連を退任した後も東京にとどまり、3・11東日本大震災後の東北地方の復興のため、医療関係者とも協力し、仮設住宅に住む人達への支援活動を長年にわたって行いました。
谷口さんは常に弱者に気を使い、自民党の悪政を許さず、日本の農業再建と政治革新に命をかけた人でした。
(新聞「農民」2019.9.2付)
|