被ばくから65年
国際署名広げ、1日も早い
禁止条約の発効を
3・1ビキニデー
今年は「第五福竜丸」の被ばくから65年目の節目の年です。第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんの言い残した「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」の言葉を受け継ぎ、核兵器のない世界の実現のために、今年も3・1ビキニデーが取り組まれ、全国各地から人々が集いました。
2月28日には「2019年3・1ビキニデー日本原水協全国集会・全体集会」が静岡市内で開かれ、750人が参加しました。
日本原水協の安井正和事務局長は核兵器禁止条約の調印国は70カ国、批准は22カ国まで広がったことを紹介。核保有国でも「核兵器禁止条約への批准を求める世論が強まっている」とし、「日本でも、非核・平和の国民的世論をまき起こそう」と呼びかけました。
またリトアニアでの「原爆と人間展」開催への日本原水協の協力に対し、リトアニア政府から感謝状が贈られました。
全体会後は7つのテーマで分科会を開催。第7分科会ではビキニ事件と原水爆禁止運動(入門編)がテーマで初参加の人が大半。
中国・新疆ウイグル自治区からの留学生も参加しており、「中国の核実験場はウイグルにあります。核実験が行われていた時は住民に白血病などがふえ、自分の家族もがんです」と生々しい報告もありました。
夜には静岡駅前で、青年が独自に署名行動を行い、89人と対話し、64人が署名に応じました。帰宅途中の高校生らが次々と署名に応じました。
3月1日には、久保山さんの墓参行進が行われ、1300人が雨上がりの焼津を行進。また、焼津市内で行われた「被災65年2019年ビキニデー集会」には1800人が集結しました。
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焼津港で漁船員に見守られながら墓参行進 |
被災者への国家賠償を求める訴訟の 梶原守光弁護士が登壇。「2014年に隠されていた資料が開示されました。そこにあったのは日本政府がアメリカと一緒になって、アメリカの核戦略のためにわずかな見舞金で事件を終結させた事実でした。しかも見舞金は船主に渡って乗組員には一銭も渡っていません」と語る梶原弁護士。「国家的犯罪を白日のもとに明らかにしていきます」と決意を語りました。
(新聞「農民」2019.3.25付)
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