「農民」記事データベース20190121-1344-01

里山の恵みと人が輝く
魅力あふれる地域づくり

福島県二本松市東和


原発事故に負けず
ふるさと守りたい

画像  福島県二本松市東和地区は、阿武隈山系の西側に位置し、標高200〜500メートルの中山間地域です。高齢化や耕作放棄地の増大に加えて、2011年の福島第一原発事故による放射能被害を受けながらも、里山の恵みと人の輝くふるさとづくりをめざして、魅力あふれる実践をしています。

 復興への願いを込めてモチつき

 新年の1月6日、浪江町からの原発事故の避難者約300人が住む県営石倉団地集会所では、浪江町民と二本松市民との「餅つき交流会」が開かれ、約150人が参加。杵を握る腕に復興への願いを込めて、餅つきが行われ、参加者は、餅やけんちん汁をほおばりながら笑顔で交流し、同じ被害者として原発ゼロをめざして力を合わせることを約束しました。

 「私たち農民は、この典型的な中山間地で、先祖伝来の土地を耕し、米、野菜、大豆、酪農、養蚕などを複合経営でやってきました。零細で自給的な農家が多く、有機農業にも向いている地域です」。安達地方農民連の佐藤佐市会長は、東和地区をこう表現します。

 その後、1970年代の米の減反政策に伴う養蚕と和牛の規模拡大、80年代からの牛肉や生糸の輸入自由化、90年代以降の農産物自由化の嵐により、畜産と養蚕は大打撃を受け、牧草地や桑畑の耕作放棄地も増大していきました。

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「ヨイショ!」。復興の願いを込めて餅つき=1月6日

 「ゆうきの里東和」を発足

 2005年の市町合併で、新二本松市が誕生したとき、旧東和町の住民は、それまで培われてきた地域のコミュニティーや農業をこれからも守り育てたいという思いを結集し、その母体組織として、NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(ゆうきの里東和)を発足させました。

 ゆうきの里東和は、(1)地域コミュニティーの再生(2)農地の再生(3)山林の再生――を目標に掲げ、地域資源・循環型農業実践の推進力になりました。

 こうした活動の拠点になっているのが、道の駅「ふくしま東和」です。ゆうきの里東和の武藤正敏事務局長は、「ここは農産物の販売だけでなく、いろんな立場の人々が集う、交流の拠点です」と胸を張ります。

 都市との交流や定住促進も、ゆうきの里東和の大きな役割の一つ。電機メーカーを退職して、静岡県から東和に移り住んできたのは有馬隆文さん(53)。2008年に、東京で開かれた「新・農業人フェア」に参加し、受入体制が整っていると、東和を訪問。親身に相談にのってくれたことから、栽培技術や販売の不安も吹き飛びました。約2年、自立のためのサポートも受け、いまはトマト、きゅうり、米づくりに励んでいます。

 震災と原発事故 なりわいを一変

 しかし、2011年の東日本大震災と原発事故は、地域づくりに励んでいた東和のなりわいを一変させました。

 原発事故直後、東和地区は、浪江町から1500人の原発事故避難者を受け入れました。安達地方農民連は、避難者への支援や地域の復興活動に奔走。本多芳司事務局長は、ガソリンが手に入らないなかをディーゼル車を使って、食料や支援品を運搬し、炊き出し、食料の供給を会員に呼びかけ、農家から要望を聞き取るなどしました。

 道の駅「ふくしま東和」は、避難場所や食料供給など救援・復興の拠点になりました。

 原発事故から約2週間後、放射能汚染により、作付けを延期するよう求める通知があり、その後、野菜の出荷制限も出され、農家は何もできない状態が続きました。

 ゆうきの里東和の生産者会議は、それへの対応策を協議し、「つくって、測って、それでだめなら損害賠償」という結論に達しました。

 その後、農地や山林などの放射能測定・調査活動が開始され、リーダーには、新潟大学の野中昌法教授が就き、「里山再生・災害復興プログラム」がスタート。大学・研究者とともに復興のためのプロジェクトも始まりました。

地域・農業を守り育て
コミュニティーの振興

 里山と都市との交流も進んで

 里山と都市との交流も進み、田植えや稲刈りなどの農業体験、ワイン用ぶどうの苗木の植え付けや収穫イベントには多くの市民が参加。都市住民と農家が農村の価値を見いだす機会になっています。

 ゆうきの里東和では、原発事故後、農家民宿の設立を呼びかけ、これまでに22軒になりました。農業体験や調査・研究に訪れる人たちの憩いの場・交流の場になっています。2013年に民宿「ゆんた」をオープンさせたのは、沖縄出身の仲里忍さん(45)。伝統文化を残そうと、地元のお年寄りを招いて、竹かご細工、しめ縄づくりなどを習い、伝える取り組みをしています。

 原発事故後、10人以上の新規就農者・農業研修者が東和に移住してきています。佐藤幸治さん(39)は2015年に東京都大田区の町工場を退職して移住してきました。以前からものづくりや土いじりが好きだった佐藤さん。震災後、ボランティアで南相馬に足を運んでいたところ、農業で支援できることはないかとインターネットなどで検索し、探し当てたのが東和でした。「毎年同じものをつくれない難しさはありますが、少量でもいろんな品種をつくりたい」と意気込みます。

 神奈川県出身の浜田彪冬(あやと)さん(25)は大学卒業後、栃木県のしいたけ工場に勤めていました。お母さんの実家が東和だったことから、「これまで受け継いできた土地を荒らしたくない」と、祖父から土地と家を譲り受け、昨年3月に東和に移住しました。佐藤佐市会長のところで研修を積み、「しっかりした施設でしいたけ栽培を周年でやりたい」と意欲をみせています。

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ハウスの支柱を点検する佐藤さん(左)と浜田さん

 次代に引き継ぐ“希望の集落”に

 いまだに放射能汚染された山林の再生は進まず、山菜なども出荷制限中ですが、地域を守りたいという住民たちの強い思いと、感性豊かな新規就農者が融合して、地域の特性を生かした取り組みが里山振興の原動力になっています。

 ゆうきの里東和の初代理事長の菅野正寿さんは言います。「里山は、食べ物、再生エネルギー、コミュニティーと豊かな土、持続可能なくらしのある“希望の集落”です。これを次代に引き継いでいくことが私たちの役目です」

 佐藤佐市会長は、「今年は『家族農業の10年』のスタートの年。里山を守ってきた私たち農民のこれまでの努力を国際社会が認めてくれたのだと誇りに思っています。地域を守る先頭に立つためにも、農民連を大きくしていきたい」と決意しています。

(新聞「農民」2019.1.21付)
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2019年1月

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