ふるさと
よもやま話
神奈川県農民連副会長
小沢長男
酪農、稲作、野菜栽培とともに
農業を守る運動
中井町の農業遷移
私の住む中井町は、東名高速道路の秦野中井インターのある地域です。
大正12年の関東大震災で、秦野市との境に地すべりが発生し、谷が埋まり、できたせき止め湖は震生湖と名付けられました。調査にきた寺田虎彦の「山さけて成りける池や水すまし」の句碑があります。
この地域は、富士山の大噴火により耕地が荒れましたが、煙草(たばこ)は火山灰土でも栽培ができることがわかり、秦野煙草として評価が高く普及していきました。多くの農家の主な収入源でしたが、1970年頃には見えなくなりました。
調査に入った虎彦が「そば陸稲丸い山越す秋の風」と詠んでいるように、陸稲や秦野名産の落花生、煙草の後作にはそばが栽培され、春は一面の麦、菜の花畑が見事でした。
昭和36年、農業基本法が成立し、山を開墾して、競うようにみかんの植栽、規模拡大が行われましたが、昭和56年の225ヘクタールを頂点に、生産過剰で価格が暴落し、平成26年には63ヘクタールへと減りました。酪農も盛んでしたが、昭和44年には325戸2251頭の乳牛飼育が平成26年には8戸186頭へと激減しました。
わが家も煙草耕作農家でしたが、酪農、稲作と野菜栽培に切りかえました。大学の工学部を出て、大企業に勤めていた長男が、突然「食料を守るために農業をやる」と言い出し、酪農に専念しています。農業を守る運動をしてきた私にとっては喜ばしい限りです。
安全な野菜作り目指して
当時の諏訪部明・県農民連会長を会長として「神奈川土づくり研究会」が発足して30年。
会は当初、木酢液の採取、利用を試験に、安全な野菜づくりに取り組んできました。
私は平成3年に、牛舎の移転を機会に「土と水の自然学」の本を参考に、牛尿処理施設を再整備し、糞尿(ふんにょう)処理を始めました。
処理水の検査結果は、大腸菌はゼロで、水質も基準内でした。処理水をニンジン、大根、白菜、長ネギなどに散布試験して、無農薬栽培が可能と判断しました。以後、ビタミン・ミネラル豊富な野菜を目指し、農薬を使用しない安全な野菜づくりに努めてきました。
「食料・農業と国民の健康を守る神奈川会議」も発足して30年になります。毎年6月には、「食農健」の人たちに玉ねぎの収穫を支援してもらってきました。多いときには40人からの参加で、20キログラム入りコンテナ360個からの収穫ができるなど大変助かっています。
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小沢さんの畑で神奈川食農健による玉ネギの収穫作業 |
神奈川県農民連は来年で50年を迎えます。県連あっての私の農業の持続でした。
(新聞「農民」2018.12.24付)
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