「農民」記事データベース20181029-1333-09

ふるさと
よもやま話

岩手県農民連会長
久保田彰孝


賢治の夢見た農民楽団に感動

 「雨ニモマケズ」の詩を書いた宮沢賢治は岩手県花巻市出身。宮沢賢治は1933年9月21日に37歳の若さで他界しました。

 「宮沢賢治賞」に農民楽団が顕彰

 花巻市ではこの時期に「宮沢賢治賞」「イーハトーブ賞」の贈呈式を行います。この賞は「宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい研究・評論・創作活動、または実践的活動を行った個人や団体」に贈られるものです。今年の贈呈式は9月22日に開催され、この賞は今年で28回目となりました。

 今年の受賞者は3人と1団体。その中に、「北海道農民管弦楽団」が含まれています。音楽に興味のある私は、楽団の取り組みに感動しました。

 この楽団の牧野時夫代表は、「『農民芸術概論綱要』に出合い、宮沢賢治先生がつくりかけ、実現できなかった農民オーケストラをいつの日かつくろうと決意したことがきっかけです」と語っています。

 演奏する曲目はベートーベンの「田園」、ビバルディの「四季」が定番です。私は以前、このオーケストラが演奏した「田園」を聞き、うまい演奏ではないのだが心が熱くなりました。宮沢賢治は農民が音楽を演奏することを夢見ただろうと思うと、私の心が震えたのです。

 私は今年7月に行われた花巻市議会議員選挙に立候補し、今は慣れない議員活動を行っています。花巻市から市が主催する行事に出るよう案内が届きます。私は今回の表彰式に出席しました。

 世界全体の平和を希求

 宮沢賢治は「農業芸術概論綱要」のなかで「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書き、世界全体の平和を希求しました。

 花巻農学校を退職し、自ら農民になることを目指し、大正15年に羅須地人協会を設立しました。近隣の若い人たちや農村の人たちの教育の場とし、また、多くの詩を書き、農耕自炊の生活を始めました。

 無償での肥料設計や稲作指導等に奔走するとともに、レコード鑑賞や器楽演奏を楽しむなど、多彩な活動の拠点にして、捨て身の運動を始めました。羅須地人協会の建物を離れて畑で農作業をしているときには建物の黒板に「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書きました。主のいない今でも「花巻農業高等学校」の賢治先生の家(羅須地人協会)の黒板に記されています。

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「下ノ畑ニ居リマス」と書かれた黒板が今も残る羅須知人協会の建物

 弱点や短所があったとしても

 来年1月の農民連大会は30周年記念大会となります。初代の代表常任委員だった小林節夫さんは「賢治も人間ですから弱点も短所もあるでしょう。でもそういうものがあったとしても今の日本にとって、賢治が残したものはそれをはるかに超えるものがあると思います」と書き記しています。

(新聞「農民」2018.10.29付)
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2018年10月

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